【過去】「定住の危うさ」 -障害者入所施設の一側面-

最後は台風のため中止という形になってしまったが、筆者が今年参加する学会は10月13日で終了した。筆者が参加している勉強会に福祉社会学、福祉の歴史の研究者が多いということもあり、今年は特に「施設とは何か」という問題設定の研究報告に触れる機会が多かった。

ある時は障害者のアジール(避難所)として語られ、ある時は障害者の生を管理する場所で語られる障害者施設を社会における何と位置づけるのかについて本ブログでも考えてみることにしよう。筆者が提示する重要な概念は「定住の危うさ」と「定着の危うさ」である。

まずは、近代以前から史料によって確認できる「定住の危うさ」から見ていこう。古代から障害者が抱える「定住の危うさ」は入所施設の生成を考える上で重要な手がかりとなる。

障害者の中でもとりわけ「異形」とされた障害者、病者にとって、生まれ育った場所への定住は決して約束された生活の仕方ではなかった。例えば、ハンセン病患者の場合、『新約聖書』にさえ患者たちが故郷を離れて集落を形成していたことを示すような記述が見られる。同様に盲人は古くから遍歴をしながら、物乞い、芸能、医療によって生計を立てており、放浪の取り締まりが厳しかった江戸時代ですら、禁止することが難しかった。肢体不自由者が人身売買によって見世物小屋で働いていたり、職業乞食集団に吸収され物乞いをする姿は、早くとも日本の戦後復興期までは見られていた。

日本の両大戦期に、民間の社会事業家たちによって推進された知的障害者を対象とした福祉事業は児童保護事業(つまりストリート・チルドレン対策、人身売買児童対策)から始まったことはよく知られている。多くの事業家たちにとって、知的障害女性が売春産業に吸収されているという事例は衝撃的に受け止められていた。精神障害者もまた、近代の浮浪者対策においては、保護された浮浪者の中に一定の割合で存在が確認される存在であった。

仮に定住していても、特定の家系に発生しやすい障害、疾患を有する障害者、病者は地域社会から孤立したり、地域イベントへの参加を制限されることがあった。家の中に閉じ込められ、存在を隠されてしまう障害者、病者もいたし、その逆に一家の生計を補助するために、物乞いをしてくることを求められる肢体不自由者もいた。施設化以前の障害者、病者にとって地域生活は決して薔薇色ではなかったのである。

「定住の危うさ」を抱えた障害者に対して、近代の福祉行政、あるいは民間の社会事業(あるいは慈善団体)が受け皿にしようとしたのが、入所施設であった。ただし、入所施設には、文明国に浮浪、物乞い、人身売買をされている障害者、病者があってはならないという近代社会特有の論理も働いており、「定住の危うさ」を不可視化する機能があったことも強調しなければならないだろう。

入所施設について考える時は、入所施設というコップの中だけで起こったことだけを考えるのではなく、その時代の地域社会にあった異形の障害者、病者たちの「定住の危うさ」をセットにして考える必要があるだろう。












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