【現代】とかげのしっぽ(有機体的業務設計の考え方)

まずは自作のしょうもない寓話でも読んでいただきたい。

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【寓話】とかげのしっぽ
とかげのしっぽ切りという言葉がある。とかげのしっぽは本体が危険を感じるとすぐに切り捨てられていた。ある時、とかげのしっぽは考えた。
「本体は、自分のためなら平気で俺を切り捨ててしまう。俺は本体にとって、どんな意味を持っているんだろう?」
「別に俺がいなくても本体はピンピンしているし、代わりのしっぽはいくらでも生えてくる。特に俺がいなくても、本体は何も困ることはないんじゃないかな?」

こうして、とかげのしっぽは体だけでなく、心も本体から離れていきましたとさ。めでたし、めでたし???
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 障害者雇用の世界では、とかげのしっぽの悩みは案外、笑えない話である。まず、多くの障害者はその職場にとって必要な業務はしていない。仮にその障害者が病欠をしても、その業務を十分に遂行できていなかったとしても、特に支障のないような業務を行っていることが多い。1990年代の学生の中には就職が決まった後、「これから俺は会社の歯車になって働かなければならないんだよな」と悩んでいたが、障害者雇用で働く障害者というのは、時に会社の歯車にすらなっていないという状況が広く見られる。

 もちろん、そこには「障害者雇用の人に無理な業務をさせるのはやめよう」という善意がある場合もなくはないのだが、「会社にとって不可欠ではない業務をさせて、時間をつぶさせておいた方が雇用管理が楽だから」という事情も見え隠れしているように思う。じっさい、会社にとって切り捨て可能な業務を担当している障害者というのは、結果的に働いて賃金を受け取ることはできても、職能はあまり伸びていかないのである。その職場にとって切り捨て可能な業務を行っている障害者に対して、丁寧な教育など行われるだろうか?ただ、たくさんの業務を提供すれば業務設計が成功したと言える訳でもないのである。

 ここで考えなければならないのは業務設計をする時のコツ。筆者は業務設計には有機体論的思考が必要だと考えている。有機体論的思考とは、生命が様々な器官の働きや連携によって維持されているように、組織も様々な人の働きや連携によって維持されているという思考方法を指している。つまり、どの器官が動かなくなっても、生命の維持が難しくなるのと同様、どの人が動かなくなっても、組織の維持は難しくなるという想定がなされているということである。

 そして、どんな障害者を雇った場合でも、業務設計において、有機体論的思考は必要になる。いわば、雇われた人全てが業務全体の維持に必要であり、その人が与えられた業務を遂行できなくなれば、他の業務全体がうまく回っていかないという業務設計をしていく必要があるのである。そのような業務が与えられていなければ、障害者を雇った事業所も真剣にその障害者の教育、配慮に向き合おうとはしなくなるだろう。業務設計にとって一番の敵は、
障害者に対して必要かどうかわからないような業務を提供してしまうことなのである。

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