【現代】針小棒大

 当事者でありながら、支援職としても仕事をしなければならない身として、特に悩んでいることについてでも考えてみることにしよう(支援職であるということが嫌な訳ではないが、当事者が支援職になりたがるというのは、その動機が何なのか一歩距離を置いて考えてみた話ではある)。

 障害者運動系の介助となると話は違ってくるのだが、一般的に支援職に就く者は職歴が長くなるにつれ、自らが支援している対象者(あるいは利用者)から何も言われなくても、その対象者がどんな就労面、生活面の課題を抱えているのか、どのような配慮を必要としているのかを察知できることが求められるようになる。特に筆者が経験した支援職では、福祉職において、その傾向は顕著だったと思う。特に福祉業界では、支援の対象者は必ずしも自らの障害特性を自覚していない、自分のキャパシティを認識していない、自分の体調を把握できていない、自分のニーズを理解していない人々であるという前提で支援を行うことも多いため、その傾向は顕著だったと思う。その後、関わることになった就労支援業界では、福祉業界よりは自己覚知を促す取り組みは積極的に行われているが、それでも対象者は自らの障害特性に無知であるという前提は維持されている場合が少なくない。自分も含めて支援職の方が相手の障害特性を認識できているというのもだいぶ自惚れた前提だと思うのだが、支援職サイドがこの前提を見直すには、まだ時間がかかるだろう。多くの支援職は自らの業務を改善するための勉強をする暇もないほど、雑務に追われているのである。

 それはさておき、対象者から何も言われなくても、対象者の課題や配慮事項を察知できるようになるというのはいいようでよくない。別の言い方をすれば察知できるようになるということは、それだけ対象者の欠点、短所にめざとくなるということであり、対象者の弱点を発見することに長けてしまうということである。普通、自分の欠点、短所、弱点を発見して、そこにばかり目がいってしまうような相手を、人は信頼しようと思うだろうか。

 さらに、支援職の観察眼が鋭くなればなるほど、その支援職は自らが支援していない人が抱える欠点、短所、弱点であれば気にもならないようなことにも、強く意識を向けるようになってしまう。例えば、事務作業に慣れていない部署で、一般の職員がミスをしても流せてしまうが、障害者雇用の職員がミスをすると流せなくなってしまうというのも、その一例であろう。どの職員がその事務作業をしても正確性は90~95%だとわかっていても、その支援職は障害者雇用の職員のミスばかりに敏感に反応してしまうことになる。

 あるいは、自らのミスに敏感に反応する支援職に対象者がイライラしはじめたとしよう。その支援職は、その対象者は障害の自己覚知ができていない人だ、人からの指摘を素直に受け止められない人だという解釈をさらに強めてしまい、ますますミスを指摘するようになり関係が壊れてしまうことになる。さらに、自分の近くに「こいつは何か失敗してしまうのではないか?こいつは何かしでかしてしまうのではないか?」とハラハラしている支援職が近くにべったりはりついていたとしよう。おそらく、監視されているような気味の悪さを感じた対象者は、緊張やストレスでさらに業務や人間関係がギクシャクし、ますます欠点、短所、弱点が目立つようになってしまう。それを見て、その支援職はさらに「この対象者には手厚見守りが必要だ」と判断し、べったりとその対象者にはりついてしまうだろう。まさに悪循環である。このような悪循環は、その支援職の観察眼が鋭くなり、対象者の欠点、短所、弱点にめざとくなるにつれ、さらに発生しやすくなる。
 
 「針小棒大」という言葉がある。ある分野に熟練、精通しておくということは、より些細なことを重大視してしまうような観察眼を身につけてしまうことである。しかし、人間、生き物を相手にする職業で「針小棒大」な観察眼を身につけてしまうと、逆に対象者の言動に悪影響を与えてしまうことがある。この点は当事者が支援職についた場合でも同じ問題に直面する可能性があるので、自らの業務の心得ともしておきたい。

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