【過去】人類優生学

衛生学のような民族主義的傾向を持つ優生学が国家レベルでは実践に移されていった。すでに両大戦間期から人種・民主差別に反対する優生学者、優生学運動家というのは登場していたのだが、人種・民族主義を乗り越えようとする優生学が力を持ち始めたのは、国連が誕生した第二次世界大戦後のことだった。この民族・人種を超えて、人間の改良を目指そうとする国際優生学の誕生に重要な役割を果たしたのが、初代ユネスコ事務局長のジュリアン・ハクスリー( 1887‐1975)だった。(写真下)

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ダーウィンの番犬とも言われた進化論生物学者トマス・ハクスリーを祖父に持つこの人道主義者はイギリス優生学協会の著名な会員であり、同時に貧困撲滅のためのバース・コントロールの熱心な推進論者だった。彼は人種の存在を否定するとともに、 人類が科学とテクノロジー、そして社会環境の改善を通して自身を向上させなければならないという見解を表すために「トランスヒューマニズム」という概念を提唱し、その目標を達成するための一分野として優生学を推奨した。

戦後、人種優生学はナチスを断罪する過程で否定されたのだが、人種・民族主義を否定した上で、優生学を維持しようとする論者がいたということは注目に値する。現在でも、国連が開発途上国の多産問題を解決する方法として避妊を推奨するのも、ハクスリーのような論者が初期の国連には一定の影響を与えていたからなのだろう。また、改良優生学者たちが有していた健康至上主義的な発想もWHOの障害児発生予防の取り組みなどにおいて健在である。

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