アブノーマライゼーション序章(9) 生と死を管理するテクノロジー

支援科学およびその研究が応用される支援制度に関する考察をはじめたい。

発達障害者支援法第3条4項には以下のような条文がある。

「国及び地方公共団体は、発達障害者の支援等の施策を講じるに当たっては、医療、保健、福祉、教育及び労働に関する業務を担当する部局の相互の緊密な連携を確保するとともに、犯罪等により発達障害者が被害を受けること等を防止するため、これらの部局と消費生活に関する業務を担当する部局その他の関係機関との必要な協力体制の整備を行うものとする。」

あくまで、国および行政団体の役割について述べたものだが、障害者支援政策において医療,保健,福祉,教育,就労支援の役割を重視していることは明白であろう。第14条3項でも

「医療、保健、福祉、教育等に関する業務(次号において「医療等の業務」という。)を行う関係機関及び民間団体並びにこれに従事する者に対し発達障害についての情報提供及び研修を行うこと。」

となっており、医療,保健,福祉,教育の支援における民間団体の役割を重視していることは明らかだろう。じっさいに支援に関わる主要な学問分野を列挙すると、医学,リハビリテーション学,心理学,福祉学,教育学などが重要な役割を果たすことになる。もちろん、これについては異論もあり、例えばこうもりの公共政策アプローチにおいては
社会保障,公的扶助,人権擁護(社会保障,法律などの分野)の役割がむしろ重視される。しかし、どちらの立場を採るにしても、支援科学およびそれを応用した支援制度が当事者の持続的な生を実現するためのテクノロジーとして利用されることには変わりがない。

確かにこれらのテクノロジーは「人間」を志向する障害者だけではなく、多くの人々の持続的な生の実現に貢献してきた。既に人口は60億人を軽く突破し、100億人を超える日もそれほど遠くはないだろう。医療の発達により、日本の平均寿命は80歳前後にまでなっている。かつては生まれても生存不能とみなされていた重度の障害者たちもかなりの確率で生存可能な状態となっている。しかし、アブノーマライゼーションという観点から見た場合、これらのテクノロジーは手放しで肯定できるものではない。ミシェル・フーコーあるいはジョルジュ・アガンベンなどが指摘したようにこれらの支援科学は諸刃の剣だ。文字通り、人間を生かすことも殺すこともでき、人間の生と死を管理することができるからだ。

人間のライフ・サイクルを例にして考えてみよう。まず、出生する前、既に生を受けている人間たちは胎児たちが男性なのか女性なのか,あるいは障害のある子ども(変異体)が生まれてくるのかどうかをチェックすることができる。
そして、既に生を受けている人間が男女のいずれに産み分けるかを決定することは可能であり、障害のリスクがある子ども(変異の可能性のある子ども)を生むかどうかを決定することもできる。変異の可能性のある子どもの場合には、生むか生まないか(優生主義的判断),生む場合でも変異の可能性ない子どもが生まれるような手術を行うこと(新優生主義的判断)を選択することがある。この時点で既に新生児たち(変異体も含む)は既に生を受けた人間たちに人間社会に人間として生まれるにふさわしいと判断された者たちなのである。もちろん、この出産前のチェックがうまくいかず、変異した新生児たちは確実に生まれてくる。すると、今度は乳幼児の検診,就学前検診が行われ、子どもを発見し早期の支援を開始することが求められるだろう。ここで、障害があるとされた子どもとないとされた子どもは進路を振り分けられていき、公教育が開始される。

保育園や学校においてはこれらの人間にふさわしい生の様式を獲得できなくなる可能性のある子どもたち,社会的に望ましいとされる生の様式からはみ出す可能性のある子どもたちに対して「適切」な支援が行われることになるだろう。ここではよく言えば障害を持つ子どもたちの身の丈に合った教育が施され、悪く言えばその当事者に分相応の人間としての生の様式が与えられることになる。そして、学校や職業訓練においては将来的な労働力として社会に従順な身体作り,社会に適合した機能作りが営まれることになる。そのためには成績表によって学校において優秀な学業を修め道徳な生活を送った者ほどよりよい進学や就労にたどり着けるような仕組みが欠かせない。

そして、就労をすればよりよい業績を挙げた者は高い社会的地位と報酬を与えられ、業績を挙げられなかった者に対しては叱責と低い社会的地位と給与(場合によっては失業)が与えられ、さらに社会に従順な身体を作り出していく。もちろん、この学校―就労のルートからはみ出してしまう者もいるだろう。そのために、社会保障,障害者福祉,公的扶助などは彼らが生きていくのに必要な給付金を与え、それと引き換えに就労などを中心とした社会参加,人間の生の様式に対する歩み寄りを要求していく。もちろん、就労を目指さなければ給付金を打ち切ると言った恫喝的な方法が採用される場合もあるが、それだけでは「逸脱者(変異体)」は動かない。そこで、人間社会への参加,人間の生の様式の獲得がいかに素晴らしいものであるかをこのテクノロジーは盛んに喧伝する。この点において支援のテクノロジーは宗教にも似た側面がある。

さらに、多くの人間および変異体は労働不能な状態になると今度は介護を必要としないための自立生活支援の軌道に乗せられる。ここでできるだけ介護が必要になる年齢を先送りするとともに、介護が必要になるとケアおよび支援を引き換えに人間として望ましい生,社会参加を目指すことが求められる。そして、終末期には医療による丁寧なケアを受けられる。しかし、医学的に見てある精神レベル,身体機能レベル,知的レベルよりも低下したと判断された場合には、人間ではなくなったとみなされ、持続的な生の終了を宣告される場合がある。

こうしてみると、ほとんどの支援のテクノロジーには持続的な生を実現するだけでは済まされない何かがある。1つは生かすことができるということは殺すこともできるという生殺与奪の権力という側面、もう1つは人間社会および生の様式から見て望ましいあり方に変異体を管理していこうとする欲動的な側面である。

さらに支援のテクノロジーはその扱う範囲を拡大していく。障害者施設,学校,刑務所,病院,工場や職場,軍隊,老人施設においては狭く閉鎖的な空間に変異体が押し込まれることが問題にされた。確かに管理はされていたのだが、管理される時間や空間は限定されていた。しかし、今は施設に変異体を押し込めなくとも、支援のテクノロジーは変異体の生を管理することができる。生涯教育,在宅福祉,家庭でできる療育,ペアレントトレーニング,グループ・ホーム。もはや時間や空間の制限はなくなり、支援のテクノロジーは恒常的に変異体を管理することが可能になっている。それこそ、変異体が持続的な生を実現することと引き換えに与えられた代償と言えるだろう。

支援科学のテクノロジーとは障害者がよりよく生きるためのテクノロジーではなく、変異体を人間社会にとって望ましい形で生かすためのテクノロジーである。


ある意味では救いがない。しかし、だからこそ支援のテクノロジーに替わる持続的な生を実現する道を考えていかなければならないだろう。

(支援のテクノロジーと理解)

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この記事へのコメント

こうもり
2009年04月03日 21:18
ちょっと修正を入れました。

支援科学のテクノロジーとは障害者がよりよく生きるためのテクノロジーではなく、変異体を人間社会にとって望ましい形で生かすためのテクノロジーである。

これが今回の決定的な結論です。

こうもり
2009年04月03日 21:42
ちなみに参考文献はフーコーとドゥルーズだぴょん
ぶじこれきにん
2009年04月06日 19:21

 こうもり氏は才人でテクノロジーと支援に着目したのはいいが、今回はついていけない。議論が過激すぎる。障がいのあるひとにより良く生きるテクノロジーはどうしたらいいか提案するなら別だが・・・
 変異体を人間社会で望ましい形で生かすテクノロジーはお説ごもっともだが・・・
 支援が管理の一環としてのペアレントトレーニング・グループホーム・在宅福祉は問題の核心を突いている。それは認めよう。
こうもり
2009年04月08日 19:24
>障がいのあるひとにより良く生きるテクノロジーはどうしたら
>いいか提案するなら別だが・・・

そいつはあまりこのブログでは扱いません。そっちの方に関心があるのであれば、わたしが書いた市販の書物に期待してくださいましってことで。

いちおう、わたしは障害者支援の理念はある程度知っているが、だか
らこそおの弱点も分かっているということで
ぶじこれきにん
2009年04月08日 20:49
支援の弱点って何だろう。現実に対して小手先の解決しか提案できないところかな。
 問題の根本的解決は支援といえどもできない。対症療法どまりのところかな。体験的支援の泣き所はざっと上げてこんなところ。
 こうもり氏が知っている支援の欠点って何???
あの本は障がい学なら出てたけど、あれが障がいのある人によりよく生きるテクノロジーなのか???
こうもり
2009年04月09日 05:37
>支援の弱点って何だろう。

少なくともアブノーマライゼーション観点から言えば以下の通りになります。

「支援科学のテクノロジーとは障害者がよりよく生きるためのテクノロジーではなく、変異体を人間社会にとって望ましい形で生かすためのテクノロジーである。」

ニーチェの言葉を借りるならば動物園道徳か家畜道徳,フーコーの言葉を借りるならば、生殺与奪を握られた生ということになるでしょう。

>あの本は障がい学なら出てたけど、あれが障がいのある人によりよく
>生きるテクノロジーなのか???

あれはあくまで人間らしさの実現の範疇書かれた本。基本的にこのブログで書かれていることは救いも解決策もありません。それを書いた時点でアブノーマライゼーションではなくなってしまいます。



ぶじこれきにん
2009年04月09日 06:16
考えて見れば、フーコーという哲学者の言葉を借りれば施設の支援は生殺与奪の生。その中で定型の作った道徳を押し付ける。それが支援の泣き所か・・・・・
 その枠組みの視点から支援ができず、枠外を越えると何もできないというところか・・・・
 人間の作ったものだから、支援にも弱点はあるわな。万能じゃない。
 哲学書で支援の欠点を見抜くこうもり氏に脱帽。(賞賛抜きで)鋭い!!
あの本は人間らしさの観点で書かれた本なのか。
マスコミは発達障がい支援の大合唱。このブログで言っている事を提言したら、解決策も救いもなく途方にくれる人、思考停止に陥る人は多いはず・・・・
こうもり
2009年04月09日 20:09
>マスコミは発達障がい支援の大合唱。このブログで言っている事を
>提言したら、解決策も救いもなく途方にくれる人、思考停止に陥る
>人は多いはず・・・・

とりあえず、そういう人向けに書かれているのが市販本。いちおう、人間らしい生を生きたいと願う当事者向けの提言ぐらいはしております。ただし、
自分がそこで描かれたような世界で生きたいかどうかと言われると極めて微妙。

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