ルソーの教育論⑫  公教育への道①

「公教育はもはや存在しないし、存在しえないだろう。なぜなら祖国のないところでは市民は存在しえないからである。」

これが公教育に対するルソーの答えだった。そこからはルソーの教育哲学は後世の民主主義を標榜する社会の教育に大きな影響を与えたが、彼の教育対象は家庭教師を雇うことのできる都市の富裕民層だけであり、貧困層や障害者は全く度外視されていた。ここからはどう考えても、全ての人を教育の対象とみなし、全ての人に教育の機会を提供するという民主主義教育の理念は出てこない。にも関わらず、ルソーの影響を受けた民主主義者たちはなぜ「全ての子どもに教育を」という理念の実現に情熱を注ぎ、今なお国連の取り組みの重要なテーマの一つとなり続けているのか?それが、前回挙げたテーマだった。

その答えを探し求めるため、一旦ルソーから離れて、フランス革命の時代に下ってみよう。

フランス革命において重要な役割を果たしたミラボーは1791年の突然の死により議会に提出できなかった公教育案の草稿の中で以下のように述べている。

「諸君は人々の心を憲法の水準に速やかに引き上げ、憲法が事物の状態と習慣のあいだに突然作り出した空隙を埋める手段を求めている。この手段は公教育の優れた制度以外にない。この制度によって諸君の建設したものは不滅になる。」

重要なポイントは2つある。第一はフランス革命がある意味では物事のはずみで起こったために、フランス国内において革命の理念が十分に普及していなかったことへの対策という側面である。当時は啓蒙主義全盛の時代だったこともあり、革命家たちの間では革命の理念を国民の間に啓蒙しようという情熱が高まっていた。そして、第二に革命後のフランスが極めて政情不安定だったこともあり、革命家たちは自らの政権を自己正当化するための護教装置を必要としていた。そこで期待されたのが、公教育(後に国民教育と言い換えられた)であった。公教育に関する多くの報告と法案が提出されたが、その中でも特に現代から見て当たり前だが、この時代としては急進的な内容を持つのが1791年に出された公教育委員会委員コンドルセの「公教育の全般的組織についての報告と法案(以下、コンドルセ案と略す)」である。

「諸君、人類に属するすべての個人に、みずからの欲求を満たし、幸福を保証し、権利を認識して行使し、義務を理解して履行する手段を提供すること。
各人がその生業を完成し、各人に就く権利のある社会的職務の遂行を可能にし、自然から受け取った才能を完全に開花させ、そのことによって市民間の事実上の平等を確立し、法によって認められた政治的平等を現実のものにする方策を保障すること。
 これらのことが国民教育の第一の目的でなければならない。そしてこの観点からすれば、国民の教育は公権力にとって当然の義務である。」

これがコンドルセ案の冒頭の一文であるが、国連の人権条約や教育に関する宣言と非常によく類似する内容を持っていることが分かるだろう。1998年のノーベル経済学賞受賞者で現在人間の安全保障委員会で活動しているアマルティア・センの公教育推進論でさえ、これと類似する内容を持つ。そして、コンドルセ案によって、公教育の持つ意味そのものまでが完全に変わってしまった。それまでの公教育論はプラトン以来、国家を維持するために必要な護教装置であった。冒頭に挙げたミラボー案ですら、革命政府の維持には不可欠という観点から公教育の必要性が唱えられていた。しかし、コンドルセ案は、全く護教的な側面がないとは言えないが、人々の能力開発による
平等の実現にその第一目標を置いている点に特色があると言えるだろう。権利を行使するためにはそのための能力を必要とするという観点もアマルティア・センの議論に通じるところがある。そして、国民の教育を受ける権利の保証は政府の義務であるという観点もここではじめて登場した。

しかも、コンドルセの公教育論の面白さはその自己否定性にある。

「権力によって設立された学術団体が余計なものになり、したがって危険なものになる時代、あらゆる公教育制度さえも無用になる時代がおそらく到来するだろう。(中略)われわれはこれらの制度の確立に力を注ぎ、そのことによって、これらの制度が無用なものになる幸福な瞬間の到来を早めることを、たゆまず取り組まなければならなかった。」

これが、コンドルセ案の結びの言葉なのであるが、彼は公教育すらも必要悪と見なし、啓蒙が達成された時点で公教育は消滅すべきであるとまで論じていたのである。そこには「全ての子どもに教育を」と言った公教育の理想化すら存在していない。

そして、この理想を実現するためにコンドルセ案は以下のことを提案している。

①教育機関の政治的権威,宗教的権威からの独立

政治的権威からの独立は、おそらくほとんどの公教育論者が考えてこなかった論点だろう。さすがにコンドルセも人民の代表者の集まりである議会へは従属させなければならないと考えていたが、例えば教育省や文部科学省が教育機関を統括することがあってはならないと考えたのである。この方針が成り立つためには議会が腐敗せず、啓蒙を妨げないという前提が必要であり、おそらく現実にはほとんどの議会は腐敗や権力闘争による足の引っ張りあいがあるので、コンドルセの理想どおりにはいかないだろう。しかし、教育の政治的権力からの可能な限りの独立という観点の提示はやはり当時から見れば卓見であろう。

宗教的権威からの自立という点については、おそらく革命政府が影響を受けた啓蒙思想家たちが一致してイエズス会などが運営するコレージュを批判していたということの影響もあるのだろう。ローマ教皇の支持者たちによって宗教や古典重視の教育を行っていたこの教育機関に対して、啓蒙の思想家たちは自然科学,現代語,外国語などを中心とした世俗的な実用学問を教えることを主張していた。自らも啓蒙思想家であり、一流の数学者であったコンドルセも当然この立場にあり、基本的学習によって確固とした精神を獲得した人以外が偏見と誤謬に満ちた古典を学ぶことは有害だとしていた。コンドルセ案では初等学校→中等学校→学院→リセ→国立学術院という五段階教育が構想されていたが、古典研究が許可されるのは第四段階のリセからであった。また、宗教教育はそれぞれの寺院でそれぞれの聖職者が教えるべきとした。

②全ての年齢,階層の人々に対する教育の保障

子供のころに狭い範囲の教育しか受けていない人々に不利が生じないように、「知識を保持し、拡大するのに必要な手段を保障する」とした。具体的には先ほどの五段階教育の他に各段階の教育機関において、公開講座を開き、あらゆる年齢の人々が出席できるとした。現代の生涯教育論の源流ともなる提案である。

また、国民の大多数を占める貧しい階級の子供に才能を伸ばす可能性を与えるために、最初の四段階の教育は無償とした。また、ある段階の教育で最良の才能を持つ子どもは「祖国の生徒」として国庫から学費を受けてさらに上級の学校に進学できるようにするとした(現代の奨学金制度の基になるような議論)。

③知育重視の体系

これはコンドルセ案に明記されているというよりも、その後のコンドルセ案に対する批判の中で沸き起こってきた論点である。コンドルセ案では諸科学は

第一部門…数理科学 第二部門…精神・政治諸科学 第三部門…物理および数理の応用科学 
第四部門…文法,文学,芸術古典学

に分類される。当時の百科全書派の分類に従ったものだが、例えばプラトンが『国家』の中で強烈に主張した徳育(愛国心教育も含まれる)は見事に欠落している。もちろん、コンドルセは宗教と道徳の分離こそ主張していたが、
完全に道徳を無視していた訳ではない。しかし、人々を無知から解放する啓蒙の道具として教育を捉えていたために、ミラボー以来あった革命の護教装置という教育の目的にはかなり無関心であったように思われる(だからこそ、公教育は将来的に廃止すべしと主張していた)。そして、それ以降の革命政府の報告や法案はコンドルセ案を土台にしつつ、それをいかに革命の護教装置に仕立て上げていくのかという点に集中していく。この点については次回のコメントでも若干補足的な説明を行うことにしよう。

けっきょく、フランス革命期の政情の不安定さもあり、コンドルセ案は事実上、死産した。仮に死産しなかったとしても、やはりドリーム・プランとして終わってはいただろう。しかし、民主主義的な意味での公教育論の創始者は間違いなく彼である。そして、それ以後民主主義社会においては「全ての子どもあるいは人に教育の機会を無償ないしは無償に近い形で提供することが、民主主義の理念に適う」とされるようになったのである。インクルージョン教育の理念などもその延長戦上にあると考えてよい。

以上、フランス革命を舞台に民主主義的な意味での公教育論の誕生する瞬間を概観してきた。生粋な民主主義者から見れば、それは大変歓迎すべきことだろう。しかし、やはり立ち止まって考えておかなければならないこともある。公教育が公権力によって展開されるものである以上、そこには公権力にとって何らかの自己防衛機能が存在しないのか?あるいは、統治や管理の道具としての側面がないのかといった点である。次回はそのような観点からコンドルセの教育論を再検討してみたいと思う。そして、コンドルセ案以降の公教育論の変遷を概観することによって若干の補足を行いたい。

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この記事へのコメント

ぶじこれきにん
2008年04月22日 07:30
アブノーマライゼーションの次は、フランス革命後の公教育にこのブログの論議も移った。
 読む限りこうもり氏も述べる世界人権宣言のたたき台になるすべての人に平等に教育を受ける議論のようである。この公教育が障がいを持つ人の為になったのか???そのことをこうもり氏は言いたいのでは???そう私は推測する。

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