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zoom RSS メディアと社会運動と〈障害者〉(2)  世論とメディアのコントロール理論@ 

<<   作成日時 : 2016/04/16 21:54  

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(だいぶ更新が滞ってしもうた……。)

19世紀フランスで誕生した世論とメディアのコントロール理論の変遷を概観することが、今回と次回の主題である。今回は、メディアと世論に関する最初の本格的な議論として、アレクシス・ド・トクヴィル(1805-1859)の『アメリカのデモクラシー』を取り上げる。

(1)フランス革命とメディア・コントロール理論

 メディア・コントロール(世論操作)の始まりと言えば、多くの人が連想するのは、第一次世界大戦(1914-1918)だろう。戦勝国であるアメリカやイギリスはメディア・コントロールを巧みに利用し、世論を戦争支持につなぎとめ、総力戦を耐え抜くことができた。皮肉な話だが、議会民主制こそがメディア・コントロールの源泉であり、民主主義国家の勝利はメディア・コントロールの洗練なしには実現できなかったのである。

 逆に大戦中に国家の滅亡を経験したドイツ帝国、ロシア帝国は軍事大国だったが、世論をつなぎとめることに失敗した。そのため、戦争が長期化すると生活の悪化に対する臣民の不満が爆発し、戦争を継続することができなくなったことが敗因の1つに挙げられる。

 しかし、メディア・コントロールの研究は第一次世界大戦を機に開始された訳ではなかった。18世紀末から19世紀に革命とクーデターと暴動を多数経験していたフランスで花開いたのである。19世紀フランスのメディア・コントロール研究の第一人者ギュスターブ・ル・ボン(1841-1931)は1790〜1820年までの群衆の状況を以下のように記述している。

 「最初は王党派であった群衆が、革命派になり、ついで帝政派になり、やがてふたたび王党派になったのである。」(群衆心理)

フランス革命では暴動と血の粛清が相次いで発生し、ル・ボンからすれば市民は暴徒化していた。そして、次々に党派を乗り換えながら、暴動と粛清に加わっていった。後で紹介するトクヴィル(1805-1859)もまたフランス革命の混乱期に一族の多くが粛清される事態を経験した。ル・ボンもトクヴィルも革命後に少数派に転落した貴族出身であったため、簡単に暴走し、暴徒化した市民の存在は脅威であった。ここにメディアと世論を統御するための理論が生まれる契機があったと考えられる。

(2)多数者の圧政と新聞の役割

 まずは、トクヴィルの著作『アメリカのデモクラシー』における議論を取り上げてみよう。『アメリカのデモクラシー』は非常に屈折に富んだ著作である。一見するとトクヴィル自身が旅行中に見聞した19世紀前半のアメリカ合衆国の民主主義のことを論じるような体裁を取っているが、実は市民革命後のフランスのことを語っていたのだと言われている。伝統的な価値観が崩壊して民主政が敷かれた国ではどんなことが起こるのかをアメリカ合衆国に仮託して論じたと言い換えてもよいだろう。身分制が崩壊した社会では、資本家階級と労働階級という新しい境界が発生する、人々の境遇が平等な社会では人々は些細な不平等にも敏感に反応するようになるといった指摘は非常に興味深い。

 市民革命で一族の多数が粛清されたトクヴィルは当然のことながら、民主政をバラ色の政体としては描かない。彼は王政、貴族政、民主政を並列してそれぞれの長所と短所を論じたフランス革命以前の視覚から、民主政の長所と短所を丁寧に論じた。専制君主政が敷かれている国では専制君主による圧政が発生するが、民主政が敷かれている国では多数者の圧政が発生すると第1巻(1834)論じているのもその一例だろう。

「1人の人間が全能の権力を身につければこれを敵に対して濫用するかもしれぬと考えるのであれば、どうして同じことが多数者についても生じることを認めないのか。人間が団体になって性格が変わったのか。反対に対して忍耐強くなったのか。そんなことは私には信じられない。」(第1巻)

「地上の権利である限り、どれほど尊敬に値し、どんなに神聖な権利を備えていようと、無制約の行動の自由、障害なしの支配権を許す気にはなれない。それゆえ私は、およそなんらかの権力に何事をもなす権利と力が与えられるのを見たならば、暴政の芽がそこにはあると宣言し、それとは違う法の下に生きようとするだろう。その権力が国王の名で呼ばれようと、民主制と言われようと貴族制と言われようと、またその権力の行使が王国でなされようと、同じことである。」

 ここで重要なのは、トクヴィルは民主政が王政や貴族政に比べて問題があると論じている訳ではないという点である。トクヴィルが問題にしているのは世俗権力が無制限の権力を持つことであり、民主政であれ、王政であれ、貴族政であれ、無制限の権力が付与されてはならないと考えた。具体的な政策提案はしていないが、どのような政体であっても権力の分立する必要性を説いたモンテスキューに近い発想と言えるだろう。そして、民主制が暴走する時に発生する暴政の形態が多数派の圧政であった。ちょうど、フランス革命期に暴走した革命政府が人民裁判を行い、多数の政治的指導者をギロチンで処刑した姿を思い浮かべればよいだろう。特に初期革命政府は市民の定めた法は絶対であるという前提を有していたため、トクヴィルの言う無制限の権力に該当していたのである。

 では、民主政国家では、多数の人間を共同の行動に向けるものは何なのだろうか。世俗権力が絶対性を持つ革命政府の下では、宗教が共同の行動原理になることは絶対にありえない。トクヴィルの答えは「たくさんの人々に同じ考えを一度に吹き込むことができるのは新聞だけである」というものだった。

 新聞は近代の原初的な情報媒体と言ってもいいだろう。ラジオ、テレビ、インターネットがない時代に多くの人々に一斉に同じ情報を伝達する方法は出版物だった。トクヴィルは新聞が人々を軽率な行動に駆り立てる危険性を否定しなかった。しかし、同時に人々に同じ計画を提示し、共同で実行する手段を提示する機能を高く評価した。

「民主国の人民において結社がなんらかの力をもつためには、多人数でなければならない。これを構成する人々はだから広い空間に散在し、それぞれ財産を少なければ、その必要上無数の些事に追われるから、誰もが住んでいる土地に縛られている。彼らは、会うことなしに毎日語り合い、集まることなしに歩調を合わせる手段を見つけなければならない。したがって、新聞なしですむ民主的結社はほとんどない。(第2巻)」

 ナショナリズムの起源に関する考察とも重なるが、顔も合わせたことがないような人同士がどのように同朋意識を持つことができるのだろうか。あるいは同じ国民であると認識することができるのだろうか?トクヴィルの答えは全ての人が同じメディアを持ち、情報、考え、計画、手段を共有できることが不可欠だった。政治的自由が広く認められた社会では新聞のようなメディアが発達し、それが民主的結社を実現するというのがトクヴィルの結論だった。

 この意味でトクヴィルはメディアが国民共通の行動原理を作り出す力を最初に認めた思想家だったと位置づけることができるだろう。

(3)政治的結社の自由の制限

 他方、トクヴィルは表現の自由には極めて積極的だったが、政治的結社の自由には極めて消極的であったことが知られている。

「結社の無制限の自由を著述の自由とまったく同一視してはならない。この自由は後者に比べて必要性はより小さく、危険性はより大きい。(第1巻)」

「このように、私は国民が政治において結社をつくる絶対的権利を常に市民に許すことができると考えるものではない。いかなる国、どんな時代であれ、結社の自由に限界を付さぬのは賢明ではないとさえ思っている。(第2巻)」

その理由について『アメリカのデモクラシー』にはそれほど詳しい説明はない。以下のような短い記述があるだけである。

「ある国民を指して、結社の自由を狭い限界内に閉じ込めない限り、国内の平穏を維持して順法精神を吹き込むことも、長続きする政府を樹立することもできないといわれる。(第2巻)」

これだけ読むと分かりにくいが、フランス革命後の30年間にフランスの政体が共和政、王政、ナポレオン帝政のように目まぐるしく変化していたこと、その度に暴動と粛清が発生していたことを踏まえておけば、トクヴィルの主張は分かりやすい。特に少数派に転落した貴族出身のトクヴィルにとって、多数派の暴走は脅威以外の何物でもなかったのである。

トクヴィル自身はメディアをどのように利用することによって、あるいは制限することによって同朋意識を創造したり、世論をコントロールするのかという具体的提案を行うことはなかった。また、彼が潜在的に暴徒化する危険性があると考えた市民をどのように統御するのかについての具体的提案がなされた訳でもなかった。しかし、民主主義社会におけるメディアの役割の考察、市民の暴徒化に対する予防という観点は次回取り上げるル・ボンとガブリエル・タルドの社会心理学研究に引き継がれていくことになる。

【参考文献】
トクヴィル(松本礼二訳)、『アメリカのデモクラシー』第1巻(上)(下)、岩波文庫、2005年
同上『アメリカのデモクラシー』第2巻(上)(下)、岩波文庫、2008年
ギュスターヴ・ル・ボン(櫻井 成夫訳)『群衆心理』、講談社学術文庫、1993年

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