グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論

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zoom RSS メディアと社会運動と〈障害者〉(1) 今後の計画

<<   作成日時 : 2015/09/22 09:58   >>

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間奏によって、ようやく以前の連載「社会は逸脱者を必要とする」で語り残したことは、語りつくせたような気がする。ここから先の考察は筆者の今後の研究に活かしていくとしよう。今回は今まで集めた歴史事実も援用しつつ、メディア史、社会運動史の視覚を採用しながら、主に20世紀初頭のメディア、社会運動が@〈障害者〉をどのように描き、何を主張しようとしたのかAあるいは、〈障害者〉がメディアを通じて何を語ろうとしたのかを確認し考察していこうと思う。

(1)メディアと社会運動

 まずは本稿で言うメディアと社会運動を定義しておこう。

 メディアとは、単純に言えば「情報の記録、伝達、保管などに用いられる物や装置のこと」である。例えば、新聞、雑誌、書籍などの活字出版物、画集、ポスター、漫画、写真集などの画像出版物などは視覚的メディアと言える。絵本には活字出版物と画像出版物の両方の側面が見られる。現在はここにウェブサイトや電子図書が仲間入りしている。そして、写真技術と印刷技術は視覚的メディアを作成するために不可欠な道具である

 当然、音声的メディアという領域も存在する。レコード、ラジオカセット、CDなどは音声の録音、再生に不可欠な道具である。さらに無線ラジオ放送の誕生は音声情報を無線ラジオを持つ不特定多数の人々に一方的に情報を発信することを可能にした。視覚的メディアの要素も抱えているとは言え、無線のテレビ放送も無線ラジオの延長戦上にあるメディアと言えるだろう。

 有線電話も、発明当初の目的が音声情報を遠方に届けることであったことを考えるとメディアと言える。携帯電話、スマートフォンもまた目的が多彩であるとは言え、無線メディアの一種として捉えることができる。

 そして最後にインターネットの存在である。インターネットの歴史的評価は簡単ではないが、それまでのメディアと明らかに異なっているのは、個人が情報の受信者だけではなく、発信者にも容易になれるという意味では、それ以前のメディアとは一線を画している。情報発信は豊富な人、資金、資源を持つ行政機関や民間企業の独壇場ではなくなりつつある。

 メディアが存在することにより、行政機関も民間企業も個人も様々な知識、情報、作品を広く市民に情報発信することができる。メディアの変化によって〈障害者〉の表現のされ方、表現の仕方がどのように変化したのかを明らかにすることは本連載の重要なテーマの1つである。

 次に社会運動とは何だろうか?さしあたり、本稿では「現在の社会の状況の改善や社会問題を独自に提起したり、あるいは政府の社会政策に対して推進または阻止を求める者が、それらの希望を実現することを目的として同志を募り団結して目に見える形で行動(運動)し、世論や社会、政府などへのアピールを通じて、問題の解決をはかる運動」であると定義しておこう。

 19世紀に始まる社会主義運動や労働者運動のように社会階級に焦点を当てて展開される社会運動もある。20世紀初頭に始まる民族運動、あるいは移民排斥運動のように民族や国籍に焦点を当てて展開される社会運動もある。性別に焦点を当てた女性運動のような社会運動もある。あるいは1960年代以降に展開されたマイノリティー運動のようなアイデンティティーに基づく社会運動に含まれるだろう。また、第二次世界大戦以前の社会運動はより科学的、専門主義的な傾向を有するが、1960年代以降の社会運動は科学、専門家主義への不信感を原動力としている場合も見られるといった具合に、時代による傾向の違いも見られる。

 では、近代以降のメディアと社会運動は市民社会に何をもたらしたのだろうか。結論から言えば、知識、理論、情報の大衆化である。

(2)知識、理論、情報の大衆化

 19世紀に産み出された様々な知識、理論はそれだけでは広く市民の支持を獲得することはできなかった。時代が遡るほど識字率も就学率も低かったのだから、なおさらである。幅広い市民の支持を得るためには、知識、理論、情報を生み出すだけではなく、その大衆化を図る必要があったのである。

 例として、マルクス主義運動を挙げてみよう。マルクスには『共産党宣言』のように一般読者向けに書かれた平易な著作もあるが、『資本論』などはただでさえ難解な19世紀ドイツ哲学の影響を受け、極めて難解である(カントやヘーゲルの影響が強い)。冷戦期には自由主義陣営のマルクス主義批判が活発化していたが、その時代でもヨーロッパのマルクス研究者たちはマルクス著作の解読が終わらず、複数の学派が独自の解釈を打ち立てているような状態だった。筆者も20代の頃に『資本論』を読んでみたが、あまりよく理解できないまま挫折してしまい、マルクス研究者の著作を読んで何とか部分的には理解できた程度である。おそらく、マルクス主義批判者の間でも、『資本論』を正しく理解できていた者はそれほど多くはなかっただろう。

 マルクスは自らの理論をプロレタリアート(無産階級者)の生活改善、運動に役立てようと考えていたが、十分な教育すら受けることができなかった当時のプロレタリアート(無産階級者)の中で『資本論』を理解できた人もそれほど多くなかっただろう。当然、マルクス主義の理論家たちは、プロレタリアートたちにマルクスの理論を伝えるために、様々な工夫を行っていたはずである。アプローチの仕方は2つ考えられる。メディアによるアプローチと運動によるアプローチである。

 メディアによるアプローチから考えていこう。例えば、旧ソ連のような社会主義政権が成立する以前であれば、マルクス理論をより平易に噛み砕いて紹介した新聞、雑誌、パンフレット、演説が重要な役割を果たしていただろう。時にポスターやプラカードに主張を分かりやすく記したり、漫画、イラストなどを補助教材にしながら、政治学習を進めていただろう。

 あるいは20世紀に入ると、旧社会主義国の間では、演劇、映画、アニメ、ラジオ、テレビ放送などを利用した政治学習も盛んに行われた。この手法はアメリカ、ナチス・ドイツでも広く見られたのだが、旧社会主義国でも事情は同じだった。マルクス理論の普及にはメディアを利用した単純化、抽象化は欠かせなかったのである。

 運動的アプローチは、理論ではなく実践によってプロレタリアートの支持を獲得していく方法である。例えば、労働組合運動に協力する。労働者の互助組織を設立する。貧困層の生活改善のために労働力を提供する、教育、福祉、医療サービスを無料、あるいは安価に提供するというのが、このアプローチに該当する。
 
メディア活用と運動アプローチによる知識、理論の大衆化は19世紀後半の専門家、理論家にとっても必要となっていたが、20世紀における映画、ラジオ、テレビなどの発達により、実践の可能性も高まった。当然のことながら、間奏で取り上げた婦人運動、優生学運動などもこれらのメディアを盛んに利用し、自らの知識、理論、主張を不特定多数の市民に発信することにより、支持層の拡大を図り続けた。知識、理論の大衆化が進む過程で、〈障害者〉はどのようなメディアを使って、どのように語られたのか?あるいは〈障害者〉自身がどのようなメディアを使って、どのように語ったのか?これらの歴史的事実を明らかにすることが本考察の最終的な目標である。

(3)事例の再検討

 おさらいの意味で、間奏で取り上げた事例を再解釈しておこう。

@ヘレン・ケラーの場合

 まず、もう一度20世紀初頭のヘレン・ケラー(1880−1968)の足跡を辿ってみよう。1902年に手記『私の生涯』を執筆した。この段階でのケラーは出版物を通じて自らの体験を語る希少な当事者の語り手だった。同時に、一度は言葉を失いながら、家庭教師アン・サリヴァンの指導により話すことができるようになったケラーはアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明家,1847−1922)らが推進を図った口話法の〈広告塔〉でもあった。

 さらに1909年以降は婦人運動に共鳴して、アメリカ社会党に入党し、同党の婦人運動家として婦人参政権運動、反戦運動、そして連載でも度々話題にした産児調節運動の熱心な支持者として、社会民主主義系の新聞で論陣を張った。さらにベルの影響を受けて、人種改良学を支持していたため、先天的な〈精神薄弱児〉については一定の条件を満たせば安楽死は認められるべきだとの意見を出していたことは既に紹介した通りである。

 ケラーの広告塔としての活動は生涯続いた。自伝は1917年に「救済」というタイトルで映画化され、1959年にはサリヴァンとの交流を描いた「奇跡の人」も上映されている。1930年代以降は、盲人福祉の広告塔として、障害啓発の促進、募金活動にも積極的に参加し、1968年に逝去した。

出版物、新聞、映画、講演といったメディアの活用……。毀誉褒貶はあっても、ケラーが障害者のメディア史に重要な足跡を残したことは間違いないだろう。さらに20世紀前半にあっては数少ない〈障害者〉の社会運動家だった。

A優生学と産児調節運動の場合

 メディアは初期社会運動にも重要な影響を与えた。まず、優生学から見ていこう。統計学を基礎に置くイギリスの優生学、生物学に基礎を置くアメリカの人種改良学は市民にとって非常な難解な分野であり、20世紀初頭まで広く普及することはなかった。専門家のみに共有された知識は市民の支持を受けることはできないし、事業家が資金協力することも考えられない。ましてや優生政策として政策化することもできなかっただろう。そのため、
20世紀初頭の優生学者はメディア活用に熱心であり、素人でも読みやすい優生学の解説書、パンフレットが多数出版した。さらに優生学の支持者からなる優生学運動が生まれ、優生学の啓発に一役買った。さらに最初の動画メディアである映画、無線放送であるラジオなどの媒体が普及すると、啓発活動に積極的に活用されるようになった。

 貧困移民層を対象としていた産児調節運動の場合はなおさらだった。産児調節運動の重要な担い手だったマーガレット・サンガー(1879−1966)は、1910年代にスラムの移民女性たちにパンフレットを配布し、1920年代になると産児制限相談所を開設し、普及活動を展開した。

 性、生殖の知識の普及、管理を推進する場合でも、メディアと社会運動体の役割は重要だった。特に公的な保健衛生サービスの乏しいアメリカにおいて、民間のメディアと社会運動体による普及活動は不可欠だった。

 婦人参政権も優生学も思想としては19世紀にすでに存在していた。しかし、市民への普及については、メディアと社会運動体の援護射撃が不可欠だったのである。

(4)考察の進め方

 筆者がどんなことをこれから考察しようとしているのかは、ある程度示した。しかし、メディア史、社会運動史は筆者にとって未知の領域である。そのため、〈障害者〉に特化した考察を行う前の予備考察を長期間に渡って行うことをお許しいただきたい。

【第1部】

 まず、最初に考察されなければならないのは、メディアに関する思想的考察である。具体的には19世紀の段階でメディアの役割について重要な考察を行った思想家たちの言説を取り上げていくことになるだろう。具体的にはフランスのアレクシ・ド・トクヴィル(1805−1859)、ギュスターヴ・ル・ボン(1841−1931)、ガブリエル・タルド(1843−1904)らの言説が考察の対象となる。

 貴族出身だった彼らは大衆の暴徒化に脅威を抱くとともに、大衆を統御する方法として、メディアの役割を重視した。社会運動を統御するためのメディア・コントロールという視点から彼らの思想を考察していきたい。

 次に、アメリカにおけるメディア戦略において重要な役割を果たした実践者たちの言説を取り上げることになるだろう。現時点で筆者が想定しているのは、第一次世界大戦で世界初の戦争プロパガンダの実践者となったウォルター・リップマン(1889−1974)、エドワード・バーネイズ(1891−1995)の言説を考察することである。必要に応じて、ドイツ・ナチスの実践にも言及することになるだろう。

 戦争プロパガンダによるメディア利用こそが、メディアの発達を促し、市民のメディア利用を推進する原動力だった。その意味で20世紀の前半、特に両大戦期のメディア利用のあり方を考察することは重要である。

【第2部】
 
 その上で、19世紀後半から、現在に至るまでメディア戦略に採用されることのあるメディアの種類とそれぞれの特徴について簡単な紹介を行っていく。

 特に筆者が注目しているのは、活字および画像の印刷技術、写真技術の発達、ラジオ、テレビなどの無線放送、映画、アニメの技術革新が国家、企業、市民のメディア利用にどのような影響を与えたかである。


【第3部】

 連載の本論に当たる部分であり、どのような社会運動体がどのようなメディアを駆使して、どのように〈障害者〉を描いたのか/〈障害者〉が表現したのかを明らかにする。現時点で筆者が想定しているのは、20世紀初頭以降の〈障害者〉の描かれ方、表現の仕方である。

 かなり迂遠な計画になってしまいそうだが、たくさん寄り道をした方が収穫物(知見)も多くなると考え、近道をすることは考えなかった。読者の方々ものんびり構えながら、おつきあいいただければ幸いである。

【参考文献】

今回は総論のため利用せず。次回から随時必要な参考文献を紹介する。


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