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zoom RSS 【間奏】まとめ −社会衛生学の後に−

<<   作成日時 : 2015/08/26 13:31   >>

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 時間が経ってしまったので、少しおさらいをしておこう。

 国民の産業を発展させ、退化を防止するための労働者の〈質〉の向上。主に貧困労働者層に担われた兵士の〈質の向上〉。主にこの2つの目的を達成するために20世紀初頭のフランス,イギリスでは社会衛生学という体系が成立した。英語で言うhygieneは19世紀のsanitationと異なり、後天的な衛生環境のみならず、労働者の生殖と遺伝への介入をも通じて、労働者の質を向上しようとした。

 生殖と遺伝への介入という点において、社会衛生学はイギリスの優生学者フランシス・ゴルトン(1822-1911)とその後継者カール・ピアソン(1857-1936)の知見を受け入れた。ただし、学校教育、保健衛生の向上、労働者の健康の促進など後天的な働きかけ、 環境改善も労働者の〈質〉の向上には欠かせないと考えていた点では、ゴルトン、ピアソンらとは一線を画していた(ゴルトン、ピアソンは単純に労働者の〈質〉は遺伝によって決まり、後天的な働きかけ、環境改善に変えられることはほとんどないと考えていた)。社会優生学は優生学研究の遡上で論じるならば、社会衛生学は優境学だったと位置づけることが可能である。

 政治的に見れば、社会衛生学は貧困問題への関心が高く、慈善事業に熱心な自由主義者、あるいは貧困問題に対する行政の役割を重視する社会民主主義者、そしてこれらの政治的立場を土台にする進歩的な婦人運動家たちに支持された。そして、少しづつ姿を変えながら、第一次世界大戦後のヨーロッパにおける社会民主主義政権の誕生とともに、hygiene政策は部分的に具現化していく。

今回の考察では、まず社会衛生学誕生後のイギリスとアメリカの動向を概観した上で、両国の社会衛生学のその後の動向を確認しておこう。その上で、第一次世界大戦後に社会民主主義政権が誕生し、hygiene政策が実行される姿を追っていこう。

(1)イギリスの場合

 性と生殖への介入を重視するフランス社会衛生学の影響を受けたハブロック・エリス(1859-1939)がイギリスに社会衛生学を取り入れたことは既に述べた。もっともエリスの社会衛生学はイギリスでは十分に受容されたとは言いがたかった。1つには性を前面に押し出したエリスの言説が同時代の人々に道徳的な反発を引き起こしたこともあった。性倒錯の問題も扱うエリスの著作はイギリスではたびたび発禁処分となった。しかし、それ以上に重要だったのは、エリスの理論的前提となる新マルサス主義が20世紀初頭には退潮の兆しを見せ始めたことも大きいだろう。

 少しおさらいをしておくと、マルサス主義も新マルサス主義も人口の過剰な増加を問題と認識しており、人口抑制を主張していた点は共通していた。異なるのは前者が禁欲によって抑制しようとしたのに対して、後者は避妊によって抑制しようとした点である。しかし、20世紀の人口研究において問題になっていたのは、人口の増加ではなく減少であった。具体的に言えば、1880年代より人口調査では出生率が大幅に低下していた。衛生環境の改善により、乳幼児の死亡率は低下していたため、人口の総計は微減に留まっていた。それまで少子化を経験
したことのなかったヨーロッパでは出生率の低下は衝撃をもって受け止められた。

 特にエリス以外の優生学者たちが危惧したのは、中流階級以上の人々での間で顕著な出生率の低下が見られることだった。優生学者たちは、中流階級以上の人々が熟慮に基づき、産児を調節するようになったためと時代診断した。人口の過剰な増加を危惧していた新マルサス主義者たちの時代診断は誤っていたという認識が広がりはじめた。さらに第一次世界大戦(1914−1918)が近づくと、人口政策は人口の量的拡大を志向しはじめた。
よく知られるように第一次世界大戦は総力戦であり、より豊富な兵力,物資,軍備を持つ国に有利だった。少子化は中流階級以上の人々の賢慮の結果であり問題はないとするエリスの主張は優生学の分野では反主流となりつつあった。社会民主主義者たちの主張も人口の〈質〉的向上と量的拡大を並行して推進する「産めよ、増えよ」に傾きつつあった。この主張の下では、出生率の拡大を目指して、子育て政策の充実が重視されることになる。

 しかし一方で、エリスの主張は、ヨーロッパ、アメリカの婦人運動家たちの間では一定の支持を獲得した。婦人運動家たちの間に反戦傾向があったこと、エリスが性と生殖における女性の役割と決定を重視したこと、母親への肉体的、労的負担を考慮して産児制限を主張したことなどが支持獲得の要因だった。イギリスに限定すれば、
マリー・ストープス(1880-1958)の産児調節運動はエリスの所属したマルサス同盟との連携が見られる。

(2)アメリカの場合

 アメリカにも1910年代には一時的に社会衛生運動が発生し、売春と性感染症の撲滅を目指す運動が発生したが、短期間で消滅した。そして、エリスの社会衛生学の影響を受けて、産児調節に特化した運動を展開したのが、マーガレット・サンガー(1879年-1966年)だった。

 少しだけおさらいをしておくと、サンガーは1910年代のアメリカの貧困地区に住む移民労働者たちが貧しいにも関わらず多産であること、多産であることで母親の健康状態が損なわれやすいこと、子育てに十分なお金と労力を割けないこと、母親だけでなく子どもも労働に従事しなければならないことに心を痛めていた。移民労働者たちが貧困から抜け出すには女性が性に対して正しい知識を持ち、避妊によって産児制限するしかないと考えたサンガーは演説、新聞での論説、パンフレットと避妊具の配布などを通じて、啓発活動を開始した。何度も逮捕、投獄を経験することになったが、逆にスキャンダルを利用しながら産児調節の普及を推進していった。1920年代になると、産児調節診療所を開設し、女性の性に関する相談,治療にも関与するようになった。

 ただし、社会衛生学を土台にするサンガーは当然のことながら人口の〈量〉だけでなく、〈質〉を重視した。貧困児童の教育、衛生の向上とともに、産児調節による質の管理を提唱した。主著『文明の中枢』では優生政策の必要性を強調したが、その内容はアメリカ優生学ではなく、イギリス優生学の知見に基づいていた。

 サンガーの1920年代の優生学への傾斜は、当時のアメリカで有力な勢力となっていた人種改良学との連携を模索していたためではないかと言われている。もっとも、サンガーがエリスから社会衛生学の薫陶を受けたのは1915年なので、それ以前から優生学の影響は受けていたと見られる。

 階級に焦点を当てるヨーロッパの社会衛生学(あるいは優生学)と異なり、アメリカの人種改良学は人種に焦点を当てる。その意味でサンガーの優生学は人種改良学から見れば異端であり、必ずしも好意的には受容されなかったようである。また、アメリカでは〈劣等人種〉とされたアイルランド系移民だったサンガーも、人種改良学とは若干距離があった。診療所のスタッフにはアフリカ系アメリカ人が含まれたため、1960年代の公民権運動でもキング牧師から肯定的な評価を受けることになった。

 産児調節運動にしても、人種改良学にしても、性と生殖の管理に重点を置くのが、1910〜1920年代の優生学の傾向だったと言えるだろう。話を出発点に戻すとヘレン・ケラー(1880-1968)は人種改良学の支持者だったアレクサンダー・グラハム・ベル(1847-1922)の影響を受けていたこと、自らがアングロサクソン系の名門出身であったこと、先天的障害者ではなかったことから、かなり強硬な人種改良学の支持者だった。1910年代のケラーがサンガーの産児調節運動を支持したのも、人種改良学の観点からの支持だった。社会衛生学と人種改良学の理論的前提の違いを必ずしもケラーは理解していなかったことになる。

(3)ドイツの場合

 これから取り上げるドイツ、スウェーデンは、第一次世界大戦後に社会民主主義政権が誕生したこともあり、社会衛生政策が特に進んだ国の例ということになる。

 ドイツについては川越 修の著作が充実しているので、氏の著作に沿って論じていこう。第一次世界大戦が泥沼化した1917年ごろから、アルフレート・グロートヤーン(1869−1931)は社会衛生政策に基づく人口増加政策を自らの著作の中で提唱しはじめた。グロートヤーンは20世紀の初頭に誕生したドイツ社会衛生学と人種衛生学の大家だった。ただし、社会民主主義者だった彼は、生物学的側面を重視する19世紀の衛生学(sanitation)や人種衛生学には不満を抱き、社会衛生学を土台にした社会政策者として活動した。ただし、人種衛生学から完全に距離を置いていた訳ではなく、人種衛生学会の設立当初からのメンバーだった。

 グロートヤーンもヨーロッパの主流な社会衛生学者と同様、人口の〈量〉的増加、〈質〉的向上を重視した。ただし、〈質〉的向上については、まだ遺伝の解明が十分ではないこと、現状では天才が生まれる可能性を潰してしまう可能性があることを理由に、消極的態度を取った。1917年以降の彼の重点は戦争によって極端に減少している人口の回復にあった。それでも、〈質〉の問題が完全に無視された訳ではなかった。彼の認識では、労働者階級の1/3は劣等な遺伝子を有するとされ、ある一定の〈質〉の管理は彼の政策構想に含まれていたのである。

 敗戦後のドイツにヴァイマール共和国が誕生し、社会民主党政権が誕生したため、グロートヤーンはプロイセン州の研究者としても、議員として社会衛生政策の立案に重要な役割を果たすようになった。彼だけの功績ではないが、1920年代半ばの共和国、とりわけプロイセン州では特に保険衛生政策が飛躍的な向上を遂げることになった。特に大きな成果を上げたのは、学校保健、乳児救護、結核患者救護、性病患者救護、保健センターの創設などである。

 一方、この時期に創設された相談所として重要なのは性・結婚相談所だった。性・結婚相談所は産児調節の助言を与えるための相談所であり、婦人団体が運営する産児調節のための相談所、都市自治体が運営する人種衛生のための相談所、福祉事業の一環としての相談所があった。このうち、特に重要なのは、都市自治体が運営する相談所だった。この相談所では@医学的相談A性的相談、そしてB優生的相談の3つの領域の相談が行われた。また、人口の〈量〉的拡大を目指すグロートヤーンは結婚相談所の責務として、特に事情がない限り、一家族が3人以上の子どもを死亡させることなく5歳を過ぎるまで育てられるようにすることを目標とした。

 少なくとも、ワイマール共和国期(1919−1933)、ドイツの保健衛生政策、子育て支援政策は他に類を見ないほどの拡充を遂げた。しかし、いずれも戦争で縮小を余儀なくされた人口の〈質〉と〈量〉の拡大を目指す取り組みだったことを見落としてはならない。

 さらに、何度か指摘したことであるが、拡充した子育て支援、性・結婚相談所、保健衛生制度、補助学級教育制度、医療制度は後にナチス政権が民族衛生政策を実現する時にも重要な礎(いしずえ)となった。これらの公設サービスを利用することにより、ナチス政権は民族衛生政策の対象者、安楽死の対象者を容易に特定することが可能になったからである。社会衛生政策は国民の生活、健康に積極的に配慮するとともに、その生を管理する政策であるということは押さえておいていただければ幸いである。

(4)スウェーデンの場合

 最後にスウェーデンの例を見ていこう。すでに嫌な予感がした読者もいたかもしれないが、スウェーデンなど北欧の福祉国家は少なくとも両大戦間の段階では、国民の〈量〉の拡大と〈質〉の向上に特に力を入れた国だった。現在でも知られる手厚い子育て政策は、この目的のために発展させられることになった。

 1934年に政権を獲得したスウェーデン社会民主労働党のペール・アルビン・ハンソン(1885−1946)は、伝統的な階級社会を「国民の家」(folkhemmet)によって取って代わられなければならないことを力説した。この構想では国民の平等と相互理解が重視され、階級闘争は放棄され、政府は市民の福祉を増長するために必要な範囲で個人に介入することになった。教育費の無料化、国民皆保険、近代的な住居の提供も社会民主労働党政権時代に提供された。

 これらの政策に経済学の立場から重要な影響を与えたのがグンナー・ミュルダール(1898−1987)だった。後にノーベル賞も受賞しているこの経済学者は、戦後は鳴りを潜めたとは言え、両大戦間は人口論についても積極的な発言を行っていた。この時期の主著『人口問題の危機』(1934年)では、人口の〈量〉的な拡大を目指すとともに、〈質〉的な向上についても積極的な発言が見られた。ミュルダールの考えでは、持続可能な福祉国家を実現するためには〈質〉のよい人口が可能な限り増加しなければならない。そのためには「変質(退化)が高度に進んだ人間たち」が生まれるのを水際で防ぐ必要があるとされた。

 1934年にはスウェーデンでも断種法が試行された。1941年以降は本人の同意が必要とされたものも、それまでは断種手術の強制が可能だった。断種の対象となったのは、〈精神薄弱者〉.肢体不自由者,品行に問題がある女性などだった。特に女性の断種手術が多かったのが、スウェーデンの特徴である。件数は確認されているだけで62,888件にのぼり、ドイツ、アメリカに次いで世界第3位である。

 特に1960年代までの福祉国家の特徴としては、障害者福祉の充実とともに〈障害者〉のセグレーション(分離)と生殖の管理が進みやすくなるという傾向が見られる。この点は福祉国家の障害者政策の歴史を学ぶ上で重要な視座と言えるだろう。

(まとめ)

 社会衛生学はヨーロッパ社会民主主義勢力、あるいはその勢力に支えられた福祉国家が保健衛生政策を進める上で理論的基盤とした分野だったと言えるだろう。少なくとも社会民主主義勢力は、20世紀前半の段階では旧社会主義国を除けば、最も国内の貧困問題に対して熱心に取り組んだ集団だと言っていいだろう。しかし、障害者の特定、分離、閉じこめ、生殖の管理が最も進んだのは、20世紀前半の福祉国家(あるいは社会国家)だったと言うことも可能である。経済を人為的に管理できると考える者は人口の〈量〉と〈質〉も管理できると考えがちであり、人間の生を向上させることができると考える者は、その生を管理できると考えがちだったことが明らかにされた。この問題は福祉国家において生の管理に厳しい制限を加えれば解決できると考えるのか、福祉国家を乗り越える構想が必要だと考えるかは、今後の考察が必要である。

【参考文献】
荻野 美穂,1994,生殖の政治学,フェミニズムとバース・コントロール,山川出版社
市野川容孝,1999、「福祉国家の優生学―スウェーデンの強制不妊手術をめぐって」,『世界』1999年5月号
川越 修,2004,社会国家の生成, 20世紀社会とナチズム,岩波書店
中村 万紀男,2004,優生学と障害者、明石書店
藤田 奈々子,2010,ミュルダールの経済学―福祉国家から福祉世界へ, エヌティティ出版
松原 宏之,2013,虫喰う近代 -一九一〇年代社会衛生運動とアメリカの政治文化,ナカニシヤ出版
Ellis,Havelock,1912,The Task of Social Hygiene,Constable & Company
Webb,Sydney,1907,The Decline in the Birth-rate,Fabian Tract No.131.
Sanger,M,1922,The Pivot of Civilization,New York,Brentano's(=1923,石本 静枝訳,『文明の中枢』,岩波書店)
Myrdal,Karl Gunnar,1940,Population: A Problem for Democracy,Harvard University Press(=河野 和彦訳,1943,『人口問題と社會政策』,協和書房)

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