グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論

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zoom RSS 【間奏】社会衛生学への道(3) 人口の<質>

<<   作成日時 : 2015/07/06 20:02   >>

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 今回はハヴロック・エリス(英、1859-1939)の社会衛生学の特徴についてを考察することである。しかし、しばらく事実の羅列のような記述が続いていたので、先に若干の整理を行っておくことにしよう。

(1)sanitationからhygieneへ

 前回まで、19世紀中葉のイギリスとフランスにおける都市政策を概観した。いずれの都市政策においても、貧困労働階級を<社会的脅威>を見なし、治安と公衆衛生向上(sanitation)のための都市改造が行われた点は共通している。公衆衛生に関しては、19世紀最後の四半世紀にヨーロッパを中心に細菌の発見が相次いだ。都市改造と細菌の発見がただちに感染症の撲滅につながった訳ではなかった。都市改造は地域住民の反対が根強く、
原則として個人の意志を尊重しなければならないイギリスとフランスでは、公衆衛生政策の進展は遅々としていた。細菌が発見されたからと言って、すぐにワクチンが開発された訳ではないし、予防法や治療法が全国民に広く普及した訳でもなかった。発見と普及を混同してはならない。それでも、19世紀末のヨーロッパ先進国では、感染症対策については解決の道筋が見え始めていたことは確かだった。イギリスでは19世紀を通じて国民の平均寿命は40歳前後だったが、1890年代には50歳前後に伸びていた。

 そして、20世紀初頭に衛生学は公衆衛生のみを扱うsanitationから、公衆衛生の改善では解決できない疾患、心身の損傷の予防をも射程に入れるhygieneに変貌を遂げた。hygieneもsanitationと同様、日本では衛生学と訳す。しかし、hygieneは公衆衛生の改善では解決しなかった感染症、先天的な疾患や心身の損傷(例えば、アルコールや薬物による胎児への悪影響、性感染症の母子感染、遺伝的疾患や損傷)の予防にも乗り出した。その目的も〈社会的脅威〉である労働者を統御することから、労働力の〈質〉を向上させることに移行した。

 特に遺伝的疾患、心身の損傷に射程範囲を広げたという点は非常に重要である。sanitationの段階では、衛生学は物理的な安全衛生環境の悪さに起因する後天的な疾患、損傷のみを扱っていた。ともに人口の<質>の向上を目指す分野でありながら、遺伝要因を重視する優生学と衛生学は相容れぬ存在だった。20世紀初頭のイギリスでも、国民の身体の<退化>の要因を巡って両者は対立を続けていた。感染症の拡大の方がより深刻と見なされていたため、衛生政策の中心はsanitationだったが、進歩的知識人の間では優生学も強く支持されていた。

 一方、遺伝的疾患、損傷の予防を射程範囲に入れるhygieneは容易に優生学を自らの一部門として組み込むことができた。取り込みは公衆衛生学と優生学が鋭く対立したイギリスではなく、劣悪な衛生環境によって獲得された〈虚弱〉な体質は遺伝するという前提に立つフランスで最初に進められた。社会衛生学はヨーロッパ全土に広がり、特に20世紀前半の社会民主主義政権では、社会衛生学は政策化され、断種政策も実行に移された。そういう意味で社会衛生学は初期福祉国家と密接なつながりを持つ。

(2)人口の〈量〉と〈質〉

 次に人口政策という角度から問題を眺め直しておこう。T.R.マルサス(1766−1834)の『人口論』以来、人口政策はイギリス経済学における重要分野と考えられていた。現在の人口政策では、少子化対策や一人っ子政策に見られるように、政府、行政部門が人口の〈量〉のみを調節しようとする場合が多い。しかし、少なくとも19世紀末から20世紀前半のヨーロッパ諸国では、人口の〈質〉の調節に積極的に乗り出す国も多く見られた。〈質〉の調節といっても、優生学のような生殖の管理だけを念頭においてはならない。公衆衛生の向上、保育および教育の向上、児童労働および労働時間の制限、労働安全衛生の向上なども、人口の〈質〉を向上させるための政策だった。

 最初の人口政策構想は、〈量〉の調節から始まった。マルサスは『人口論』において「人口は制限されなければ幾何学級的に増加するが、生活資源は算術級数的にしか増加しない」という認識を示し、人口増に対して警鐘を鳴らした。彼は禁欲による産児制限を主張し、貧困層を救貧手当で救済することは人口増を誘発するとして、救貧法に反対した。マルサスの理論は19世紀を通じて修正され、中流階級以上の家庭の少子化と貧困層の多産という問題設定に変更された。新マルサス主義者たちは、貧困層の多産を防止するために避妊による産児制限を行うことを主張した。本稿で扱うH.エリスは新マルサス主義の立場に立っており、アメリカの産児調節運動に理論的影響を与えている。

 一方、人口の〈質〉の調節を前面に打ち出した議論は、優生学の提唱者F.ゴルトン(1822-1911)によって本格的に開始された。人口論者としてのゴルトンは、中流以上の家庭では熟慮してから結婚、出産を行うため、晩婚少子化する傾向があるのに対して、貧困層では早婚多産になる傾向が見られるという認識を示した。優生学の古典として名高い『天才と遺伝』(1867)は、中流階級以上の家庭に対して、積極的な出産を推奨することも目的にされていた。ただし、20世紀初頭に優生学者たちから理論的支柱として担ぎ出されるまで、貧困労働者階級の生殖管理についての言及はなかった。遺伝を重視するあまり、教育や公衆衛生の意義には関心を示さず、貧困層は自然な淘汰に任せておけばよいと考えていた節があった。

(3)労働者の〈質〉

 ではなぜ、19世紀末ごろから、人口政策において労働者の〈質〉を向上させるための議論が活発になったのだろうか。1870年代からの産業界の動向を確認しながら、考察していこう。

 イギリスは言うまでもなく世界に先駆けて産業革命を開始した国だった。少なくとも19世紀中葉までの国際貿易競争では独走状態にあった。しかし、1870年代にはアメリカ、ドイツの工業化が進み、三強体制に移行した。1870年代半ばからイギリスは不況の時代を迎え、同時に産業の〈退化〉が危惧されるようになった。そして、〈退化〉の一因として、教育を受けておらず、〈虚弱〉な体質を抱えた非熟練労働者の存在に注目が集まるようになった。
さらに南アフリカの植民地戦争である第二次ボーア戦争(1899−1902)でのイギリス軍の苦戦も危惧に拍車をかけた。イギリス軍は農民中心のオランダ系移民に大苦戦を強いられた。さらに出兵志願者に対して実施された兵役検査で志願者の10人に6人が兵士として〈不適格〉だったという報告が市民に衝撃を与えた。志願者は貧困労働者階級出身の若者が多かったが、彼らの多くは体格、健康面に問題があり、心身の損傷を抱えている者も少なくなかった。

 労働者の〈質〉を向上させるために、教育、公衆衛生の向上、労働安全衛生の向上に力が入れられた。1860年代以降、児童の就学率は急上昇し、1870年には義務教育法も成立した。労働組合の運動により工場法の改正が進められ、労働時間、児童労働などにも制限がかけられ、安全衛生の向上も進められた。不況だったとは言え、労働者の生活や雇用条件はこの時期に全体的には向上した(ただし、劣悪な条件で労働者を働かせる苦汗産業も存続したため、労働者階級内部での貧富の差は増大した)。都市衛生の改善については前々回の考察で述べた通りである。自由放任主義の立場をとる大資本家の間でも、教育、衛生、労働条件の改善は、労働者の〈質〉を向上するために必要であるという合意が形成されつつあった。

 経済学においても同様の傾向が見られた。厚生経済学の分野では、ケインズ、ピグーの指導教官として知られるアルフレッド・マーシャル(1842−1924)は1890年の主著『経済学原理』の中で、国民の産業の発展のためには、〈健康〉な人口を増やすことが必要であることを主張した。〈健康〉な人口を増やすための方策として、マーシャルは教育、公衆衛生、労働時間の制限と余暇、そして優生学による人口の〈質〉の調節にも言及した。『経済学原理』の中では、どちらかと言えば教育、衛生、労働条件の改善が重視されたが、優生学も人口の〈質〉を向上させる諸科学の一分野であるとの認識が示された、人口の〈質〉に対する注目はケインズ、ピグーにも強く見られる。

 そして、教育と公衆衛生、労働安全衛生の取り組みが一定の成果を上げ始めた19−20世紀の転換期に、同時代の教育と公衆衛生、労働安全衛生の力では解決できないと見なされた一群の人々が脚光を集めるようになった。先天的な〈退化者〉、つまり現在で言えば先天的な〈障害者〉たちである。教育と衛生の向上が進むにつれ、教育や衛生の向上では〈質〉を改善できないと見なされた人々が浮き上がってきたのは皮肉である。先天的な〈障害者〉が浮き上がってくるにつれ、19世紀から遺伝を重視する議論を展開していた優生学も脚光を浴びることになった。


(4)H.エリスの社会衛生学

 本題であるエリスに話題を移そう。エリスは『社会衛生学の責務』(1912)において、社会衛生学を主題に据えた議論を展開した。エリスの社会衛生学の特徴としては@性と生殖というテーマを前面に打ち出していることA社会衛生学の立場から優生学を支持していることB人口の<質>を向上させるためには母性の役割が大切であり、女性に対する性教育が必要であるとしたことC新マルサス主義の影響を受け、少子化はそれほど問題視していないことなどが挙げられる。彼の社会衛生学が性感染症を科学的に議論することを主張したフランスのエミール・デュクローの影響を多大に受けていることは、前回述べた。

 しかし、エリスは社会衛生学をイギリスの社会改良運動の中に位置づけようとする。エリスが示した歴史認識では、社会改良運動は4つの段階に分けられるとする。エリスの認識では第1段階は公衆衛生活動による衛生向上の段階、第2段階は工場法の制定による女性と子どもの労働条件の規定、そして第3段階は学校義務教育(1870年)の確立である。第1段階〜第3段階までは順番通りに進んだ訳ではなく、同時並行して進められた時期もあったのだが、エリスにとっては第3段階までが19世紀の社会改良の取り組みだった。衛生、労働、教育環境といった後天的な環境の整備に重点が置かれていたと言ってもいいだろう。

 そして、彼が生きていた第4段階は子どもへの配慮を誕生まで遡らせた段階と位置づけている。具体的な取り組みとして取り上げられたのは、子どもの出生届、健康訪問員によって母親に助言を与える制度、子どもの養育状況の見回り、科学的に幼児を世話する母親学校など子育て支援政策だった。子どもが学校に入学する段階では、子どもの運命はある程度決まっており、入学以前に遡った対応が必要であると考えていたためである。ここにも、小児養殖学などが流行したフランスの影響が見られる。

 問題はその次の段階である。エリスはまだ実現していない次の段階の取り組みとして、誕生以前に遡ることを提唱した。すなわち第5段階では生命の源泉そのものが対象とされ、「その流れを源で制御することができるようになれば、ある程度汚濁によるその流れの汚染を防ぎ、汚泥を含んだ洪水が、我々の堤防に対する苦心作業の結果を流しさってしまうことのないようにすることができる。」とされた。抽象的な言い方で分かりにくいが、
誕生以前の段階で生殖を管理することにより、遺伝的に〈退化〉した人々が生み出されるのを防ぐことができる、と述べているのである。

 第5段階の取り組みを実現するためにエリスは母性、具体的には母親の役割を重視した。女性に対して性の知識を普及させるとともに、夫婦が産児調節について共決定することを理想としたのである。彼が生涯をかけて研究した性の心理学は、それを実現するための知であった。母性を問題化する現在のフェミニズムから見れば意外かもしれないが、エリスの社会衛生学は欧米の一部の進歩的婦人運動家たちに支持された。人口の<質>を向上させるために女性が賢明な選択をすることを主張したエレン・ケイ(1849-1926、『児童の世紀』の著者)、そしてアメリカ産児調節運動家マーガレット・サンガー(1879-1966)などがその例である。両者はかなり方向性の異なる婦人運動家だが、生殖について女性が賢明な判断を行うべきだと考えていた点は一致していた。ただし、その賢明な判断の中に優生学的判断が含まれていたのは言うまでもない。

 社会衛生学を社会改良運動の中に組み込もうとしたエリスの企ては失敗に終わった。性を前面に打ち出したエリスの著作はイギリスでは発禁処分になることも多く、社会政策に強い影響力を発揮することができなかったためである。しかし、エリスの社会衛生学が同時代の婦人運動家に与えた影響は決して少なくない。

 次回は20世紀の社会衛生政策を縦断的に確認してみることにしよう。

【参考文献】
Foucault,M.,1977, ≪El nacimiento de la medicina social≫(《La naissance de la médecine sociale》;trad.D. Reynié ) Revista centroamericana de Ciencias de la Salud, no 6, janvier-avril(=1994,小林 康夫・石田 英敬・松浦 久輝訳,「社会医学の誕生」『ミシェル・フーコー思考集成Y』,筑摩書房)

荻野 美穂、1994,『生殖の政治学 フェミニズムとバース・コントロール』,山川出版社

川越 修,2004,『社会国家の生成―20世紀社会とナチズム』,岩波書店

Ellis,Havelock,1912,The Task of Social Hygiene,Constable & Company

荻野美穂編,2000,『編集復刻版 性と生殖の人権問題資料集成』第2巻

太田 省一,1994,「社会衛生の登場 ―H.エリスの議論を手がかりとして」,和洋女子大学 文系編34

Eric John Ernest Hobsbawm,E.J.E,1968,Industry and Empire: An Economic History of Britain since 1750,London,Weidenfeld and Nicolson(=1984,浜林正夫・神武庸四郎・和田一夫訳,『産業と帝国』,未來社)

Marshall,A.,1890,Principles of Economics,London, Macmillan.

Mlthus,T,R,1798,An Essay on the Principle of Population,London, J. Johnson(=2011,斉藤 悦則訳,『人口論』,光文社)

Galton,F,1869, Hereditary Genius:An inquiry into its lows and consequences, London,Macmillan and Company(=1916,原口 鶴子訳『天才と遺伝』早稲田大学出版部)

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