グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論

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zoom RSS 【間奏】ヘレン・ケラーと〈黒いコウノトリ〉@

<<   作成日時 : 2015/02/15 10:11   >>

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(今まで行った考察の製本は大幅に修正した上で悪戦苦闘の末終了。新しい考察に突入します)

 今回はこれまでの考察の視点から、これからの考察の視点に移行するための過渡的な考察を行う。考察の対象となるのは今から100年前の1915年に起こった消極的安楽死事件とそれに対するヘレン・ケラーの見解についてである。

(1)〈黒いコウノトリ〉事件の経過

 1915年11月、アンナ・ボーリンガーはシカゴにあるアメリカ・ドイツ病院で男の子を産んだ。男の子はジョン・ボーリンガーと名づけられた。詳細は分からないが、出生段階で外科的な処置を必要とするような疾患を抱えていた。また、重度の〈精神欠陥〉(現在の〈知的障害〉のこと)の疑いもかけられていたようだ。担当の産婦人科医は、生まれた日の夜に同病院の外科の権威ハリー・ハイゼルデン医師に対応を依頼した。

 ハイゼルデン医師は両親に対して、赤ん坊に重大な〈肉体的欠陥〉があることを告げ、外科的手術に同意しないよう提案した。両親が同意したため、外科的手術は実施されず、赤ん坊は5日後に死亡した。現在の視点から見れば、心身の〈損傷〉を理由にした消極的安楽死の事例と言えるだろう。

 騒ぎが大きくなったのは、ハイゼルデン医師がシカゴ・アメリカン紙にこの消極的安楽死の事例を紹介し、自らの判断の正当性を主張してからだった。正当化の根拠は2つあった。1つ目は深刻な〈肉体的欠陥〉を抱えた幼児は苦しみの人生を運命づけられているため、〈慈悲殺〉はもっとも人道的な措置だというものだった。2つ目は社会防衛論的な見地に基づくもので、〈精神欠陥〉を抱えている幼児は〈潜在的な犯罪者〉であり、社会にとって危険で重荷になるというものだった。後者については、同時代の人種改良学(アメリカ優生学)の影響を受けていることは言うまでもない。ハイゼルデン医師はさらにこれまで10年間にも〈慈悲殺〉を実施したことがあり、今後も継続するつもりだと宣言し、その後3年間のうちに5例の〈慈悲殺〉を実施した。

 それ以前から人種改良学の見地に基づき、〈精神欠陥児〉の出生を水際で予防しようという議論はなされていたが、現に生きている〈精神欠陥児〉に対して〈慈悲殺〉を実施するという議論はなされていなかった。多くの人種改良学者とその支持者は、すでに生まれた〈精神欠陥児〉については、特殊学級、施設で生を管理しつつ、〈よりよく〉生かしていくという選択肢を支持していた。〈精神欠陥児〉を死ぬに任せることを主張した点で、ハイゼルデン医師の議論は人種改良学の一線すら超えていた。

 ハイゼルデン医師の記事はニューヨーク、ワシントンの主要紙でも大きく取り上げられ、同時代の知識人たちも活発に発言を行った。ただし知識人たちは医師の専門性に絶対的な信頼を置いていたため、どちらかと言えば、ハイゼルデン医師を支持する発言が多かったようである。

 ハイゼルデン医師は1919年に亡くなるまで、全米各地で講演を行い、〈慈悲殺〉の正当性を訴えた。さらに、1917年にはサイレント映画『黒いコウノトリ』の制作に関わり、監修と主演を務めた。この映画は今で言えばドキュメンタリー映画であり、延命措置の停止に抗う母親をハイゼルデン医師が説得し、最後は赤ん坊が神によって天国に召されていくという内容だった。(映画については下記のウェブサイトを参照のこと)

http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/49297753.html

 この事件は母親のアンナを深く傷つける事態になり、アンナは1917年に深い悲しみの中で亡くなった。

(2)ヘレン・ケラーの意見表明

 〈黒いコウノトリ〉事件は同時代の婦人運動家の間でも広く議論された。婦人運動家は子どもを産む産まないは女性が決めることという観点からこの事件を議論した。心身の遺伝的疾患を持つ子ども、〈精神欠陥児〉が産まれるのを水際で防止するのも婦人の義務と考える運動家も多かったこと、同時代の婦人運動家が科学に対して高い信頼を置いていたことから、全体的にはハイゼルデン医師を支持する論者が多かったようである。

 この時期のH.ケラーは婦人運動に共鳴し、婦人運動家の一大拠点となっていたアメリカ社会党に入党していた。アメリカ社会党は漸進的な社会主義の実現を目指す社会民主主義政党であり、女性参政権運動、反戦運動、貧困撲滅運動にも積極的に関与していた。そのため、1910年代はケラーも新聞紙上で積極的に政治問題について発言していた。また、障害者の権利擁護家として、盲、聾の分野では影響力のある発言者となっていた。

 そして、1915年12月16日、H.ケラーがニューパブリック紙に自らの見解を公開した。 多くの人々の予想を裏切り、ケラーはハイデルゼン医師の判断を科学的かつ理性的と賞賛した。そして〈慈悲殺〉の判断は一般の審査会ではなく、医療の専門家によって構成される審査会に委ねられるべきだと主張した。〈慈悲殺〉が濫用される危険性については、〈慈悲殺〉が実施される前に審査会の判断基準が公開され、人々の承認が得られていれば問題がないと反論した。さらに〈精神欠陥者〉は〈潜在的な犯罪者〉であるとするハイゼルデン医師の主張を支持し、社会にとって〈危険〉で〈お荷物〉となる〈精神欠陥者〉の〈慈悲殺〉をも容認した。

 同時期のケラーが〈人種改良学〉の支持者であったことは、他にも根拠がある。彼女は私的な手紙の中でパートナーはアングロサクソン系の白人男性がよいとも述べていた。また、後天的な盲聾者であるケラーにとって、先天的な〈障害者〉は自分とは別の世界の〈他者〉だった。しかし、後年チャリティー運動に身を投じたケラーは、さすがにこの時の記事を著作で取り上げることは危険だと感じたのだろう。1929年に1910年代の政治的発言を収録した『ミッド・ストリーム』という著作を出版したが、〈黒いコウノトリ〉事件についての発言は収録されていない。

(3)予告

 この件に関して、次回以降、2つの考察を行ってみたいと思う。1つはこの時期のケラーの思想に大きな影響を与えていたと考えられる産児調節運動の概要を知ることである。この考察を通じて、前回まで扱った〈優生学〉内部の議論をより分かりやすく整理していきたい。

 もう1つは、〈黒いコウノトリ〉事件において、ケラーを含めた論者が自らの見解をどのようなメディアを利用して表明したのかを明らかにすることである。その上でメディアにおいて〈障害者〉はどのように表現されたのか/表現したのかという次の考察への導入を行っていきたい。

【参考文献】
Keller,Helen,1915,Physicians’ juries for defective babys,The New Republic,Dcember 18
Keller,Helen,1915,Birth Control,The New York Call,November 26
Gerdtz,John,2006,Disability and Euthanasia:The Case of Helen Keller and the Bollinger Baby,Life and Leaming.16
Nielsen,Kim E.,2004,The Radical Lives of Hellen Keller,New York,New York University Press(=2005、中野 善達訳、『ヘレン・ケラーの急進的な生活』,明石書店)

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