グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論

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zoom RSS 社会は逸脱者を必要とする(20) カナーと自閉症

<<   作成日時 : 2014/11/15 22:07   >>

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 前回のおさらいを少しだけしてから、本題に入ろう。

 1950年代以降、先天的な発達の遅れ、あるいは不均衡があるとされる人々を対象とする臨床家たちは〈護教団〉を必要とするようになった。〈護教団〉とは、臨床家たちの説、取り組みを支持し、ピアサポート、広報活動、ロビー活動を担ってくれる家族会のことだ。臨床家たちは、〈心身の機能不全〉に関する知識と支援プログラムを提供することにより、家族たちが現在抱えている不安や将来に対する不安を鎮める役割を担う。それに対して家族会は運動体として臨床家たちの説や支援プログラムの普及、行政機関への働きかけを担い、臨床家たちを援護射撃した。

 〈護教団〉である家族会のロビー活動の目的は多彩であった。1950年代以降、北欧の〈精神薄弱〉親の会であれば、ノーマライゼーション理念に基づき、コミュニティー福祉への移行を推進しようとしただろう。1950〜70年のアメリカの〈精神薄弱〉親の会であれば、家族福祉依存からの脱却を目指し、公立の居住施設の増設と改善を訴えただろう。同じくアメリカの〈学習障害児〉親の会であれば、〈学習障害児〉に合った学校教育を権利を要求しただろう。しかし、家族会の意向抜きに臨床家が支援の方向性を決めることができなくなっていた点のみは軌を一にしていた。

 1960年〜70年代に発生した自閉症の要因を巡る論争もまた、その結果に家族会(具体的にはアメリカ自閉症協会とイギリス自閉症協会)が与えた影響を無視して語ることはできない。しかし、この点を考察するために、最初に自閉症がどのように語られたのかを確認しておく必要があるだろう。今回は〈自閉症〉概念産みの親レオ・カナー(1894-1981)が〈自閉症〉をどのように語ったのかに焦点を当てながら、考察を進めていきたいと思う。

(1)精神衛生運動と児童精神医学

 カナーの自閉症に関する論文、著作と並んで重要な主著『児童精神医学』の記述に基づき、臨床家としてのカナーの立ち位置を明らかにしていこう。

 カナーは言うまでもなく、力動精神医学の体系者アドルフ・マイヤー(1866-1950)の後継者であった。力動精神医学とは、精神現象を生物、心理、社会的な力のぶつかりあい、および相互因果関係の結果として捉えることを方法論的基礎とする精神医学である。この立場によると、患者の状態は様々な力のぶつかりあいによって生じる以上、その状態は状況依存的であるしかなくなる。

 精神分析学の祖とされるジークムント・フロイトもまた精神医学では力動精神医学に位置づけられる。フロイトの場合、心理、社会的な力のぶつかりあいについてばかり言及しているため、不審に思われる読者もいるかもしれない。しかし、フロイトが生物的な側面に言及しなかったのは、現段階ではまだ科学的に説明ができないためという理由だったため、生物的側面が全くないと言っていた訳ではないことに留意する必要がある。

 話を元に戻そう。マイヤーの影響を強く受けていたカナーは当然のことながら精神症状は様々な力のぶつかりあいと考えていた。「遺伝か、(家庭)環境か」といった単純な考え方をする臨床家ではなかったことは押さえておく必要がある。

 そして、カナーがマイヤーから受け継いだ視点がもう1つある。精神衛生運動の視点である。3回前の考察で、20世紀初頭の精神医学は監禁と収容の時代だったと述べた。その問題は現在なお解決している訳ではないのだが、1920年代以降の精神衛生運動では、患者を入院させる前に、地域クリニックでの予防的な介入ができないか模索されるようになった。その中で、将来的な非行および精神疾患のリスクが高いとされる子どもに早期介入することが検討されはじめたのである。医療社会学では〈子どもの医療化〉と呼ばれている現象である。

 しかし、〈子どもの医療化〉が進行する過程で、児童臨床には大きな混乱が発生した。特に国際的な診断ガイドラインもなかった時代なので、同じ状態の子どもであっても、どのような診断がつくのかは、精神科医によってまちまちだった。カナー自身がオーストリアからの移民であったが、当時のアメリカにはヨーロッパから様々な流派の児童臨床家が拠点を移して活動していた。特に1930年代にドイツでナチス政権が誕生すると、ドイツ、オーストリアのユダヤ系臨床家が大挙英語圏に亡命した。精神分析学がアメリカに広まったのもこの時期だったし、前々回に取り上げたアルフレッドAシュトラウスがアメリカに亡命してきたのもこの時期であった。

 児童臨床家が共通して利用できるような児童臨床の百科事典のような書物が必要とされていた。この要請に応えて、カナーが著した入門書が『児童精神医学』(1935年初版、以後たびたび改訂)であった。そして、カナーは世界で初めて自らを児童精神科医と名乗り、アメリカにおける児童臨床の大系家となった。

 なお、蛇足ながら、カナーの優生学に対する態度にも少し言及しておこう。カナー自身は20世紀の優生学には科学的にも倫理的にも距離を置いていた。優生学が主張するメンデルの法則に基づく〈精神薄弱〉の遺伝には科学的根拠がないと見ていたし、ユダヤ系であったため、アメリカの〈人種改良学〉ともどこか距離があった。しかし、断種には主張者が言うほどのメリットはないので、やむを得ない場合のみ実施すべきと消極的な賛成を示していたことが、『児童精神医学』の記述から明らかになっている。精神衛生運動は優生学を完全に乗り越えていた訳ではなかった。


(2)〈早期自閉症〉の発見

 では、1940年代以降のカナーのライフワークとなった〈早期自閉症〉とは何なのだろうか?1943年から1973年までのカナー論文を手がかりに読み解いていこう。

 意外だが、〈早期自閉症〉の研究はドイツの〈精神分裂病〉(現在の統合失調症)研究を出発点にしている。ドイツ精神医学の重鎮で〈精神分裂病〉の診断分類を行ったエミール・クレぺリン(1856-1926)は1890年代に1054人の患者のうち、3.5%の患者は10歳以前に〈精神薄弱〉の兆候を示していたと述べていた。やはり、〈精神分裂病〉の権威であったオイゲン・ブロイラー(1857−1939)も〈精神分裂病〉は児童期にはめったに発現しないが、初期まで遡る場合があると論文の脚注で述べていた。もし、〈精神分裂症〉が児童期に遡るのであれば、それは児童臨床の対象になってもおかしくない。

 じっさい、オーストリアではハンス・アスペルガーが熱烈に支持していたことで知られる治療教育学の第一人者テオドール・ヘラーも児童期の〈統合失調症〉には注目し、生後2〜3年は正常に発達し、その後急速に〈痴呆化〉が進行する事例を1908年に報告した。いわゆる〈幼児痴呆症〉はその後統合失調症とは直接関係ないことが明らかになったが、その後〈小児崩壊性症候群〉としてローナ・ウィングの自閉症スペクトラム概念の範疇に含まれている。

 カナーもまた児童期に発症した〈精神分裂病〉には関心を抱いていた。そして、1938年からブロイラーの言う〈自閉〉状態を示す子どもたちに注目し、調査を続けていた。〈自閉〉状態とは「自分以外の世界とのかかわりをせばめる、あるいは排除している状態」 のことである。そして1943年に発表した論文「情動交流の自閉的障害」において、11事例を紹介した。そして、これらの子どもに共通する特徴として「極端な孤立」「言葉の発達の遅れ」「卓越した機械的暗記力」「同一性保持の強迫的願望」などが挙げられた。

 次に、カナーは〈自閉児〉たちの家庭環境にも注目した。カナーによれば11人の子どもは高度に知的な家庭の出身であり、父親のうち4人は精神科医4人、1人は法律家、1人は法律学校を卒業した特許局勤務者、1人は植物病理学者、1人は林学の教授、1人は広告の技師、1人は実業家であった。11人の母親のうち9人は大学卒であり病理研究所秘書、劇場の書店経営、記者、内科医、心理学者、看護師、などを経験していた。子どもたちのうち9人はアングロサクソン系であり、2人はユダヤ系だった。ただし、本当に暖かい心を持った父親や母親はわずかで、科学、文学、芸術に囚われており、人に対する興味が限られており、結婚生活も冷たく形式的とされた。

 11人の子どもとその両親の状態についてのカナーの記述は後世の臨床家からも信頼された。修正されたのは、高度に知的な家庭出身者が多いという点であり、これは1943年の段階ではカナーに受診を求める親が同業者かかなりの知識人層であったためと解釈されている。

(3)原因論を巡るカナーの揺れ

 原因論について、カナーの記述は1943〜1968年まで大きく揺れ動いていた。1943年の論文では〈温かみの欠ける家族〉を記述しているが、原因については「感情的接触が生来的にできないと仮定すべき」とし、生来的障害説を唱えていた。ただし生来的であることは、必ずしも遺伝的であることを意味している訳ではない。

 しかし1949年論文では、遺伝的な可能性を否定し、親の強迫性や冷たさの記述が大幅に増えていき、子どもたちの状態は「冷蔵庫の中で、冷凍のまま、きれいに保存されたようなもの」と表現された。いわゆる〈自閉症の母親=冷蔵庫マザー説〉は間違いなく、1949年段階でのカナーの仮説であった。カナーは1968年の論文で1949年の説を、この時期に精神分析家の間で「母を求めよ」という運動が活発化していたためと弁明した。第二次世界大戦後に戦災孤児が社会問題化され、母子関係剥奪理論などが流行したのは事実であった。また、前回述べたようにナチスの民族衛生政策を非難していたアメリカでは戦後、遺伝のことは話題にしにくくなっていたという事情もあったのだろう。しかし、同時期の『児童精神医学』改訂版を読むと、カナーが〈強迫的な親〉を非常に問題視し、育児のために働くことのできなくなり欲求不満になった母親のことを否定的に記述していたのもまた事実であった。

 しかし、1956年の論文からカナーの記述あまたぶれ始めた。力動精神医学の立場から「遺伝」対「(家庭)環境」という対立構図で語ることは誤りだとした上で、家庭環境は症候群の展開には重要だが、子どもたちには子宮からでてきた時点で異なった点があったはずとする説を再び持ち出してきた。

 さらにアメリカ自閉症協会が結成された1965年になると、〈自閉児〉と親の状態は以下の4つの理論から説明される可能性があると説明した。

@両親の行動はその子どもに対する特殊反応であり、病理学的には無意味であるとする理論
A両親、特に母親が発病の根本原因とする理論
B人間関係を作っていく能力が先天的に少ない患者は、親の情緒的無関心とそれから生じる育児態度によって深く影響を受けるという理論
C児童の精神病や祖先の冷淡さは、生物的、遺伝学的に決定される共通の源から生じるとする理論

 次回以降登場する臨床家も踏まえて、誰がどの立場に属するのかを確認しておこう。TEACCHプログラムの開発者であるアメリカのエリック・ショプラーは明確に@の立場を取っていた。またアメリカ自閉症協会の父とされるバーナード・リムランドも@の立場と言えるだろう。ショプラーの論敵で後にアメリカの自閉症児の親から悪の根源と見なされることになった精神分析家ブルーノ・ベッテルハイムはAの立場に属する。しかし、少なくとも戦後から1950年代半ばまではカナーも若干Aの立場に傾斜していたと言える。そして、Bは力動精神医学の本来の立場であり1956〜1965年のカナーはこの立ち位置にいたと言ってもよいう。

 そして、Cは意外かもしれないが、1970年代におけるイギリスのローナ・ウィングの立ち位置であった。後に自閉症スペクトラム障害概念を提唱することになったウィングは、親が〈自閉症〉とは言えなくても、同じ傾向を持っている可能性を否定しなかったのである。そして、アスペルガー症候群がウィングの自閉症スペクトラム障害に含まれた後、児童精神医学においてこの説は意外に注目されている。もっともCの説は「やはり家族の養育に問題があった」という説に結びつくため、家族会からどこまで受け入れられるかは分からないが。

 ともあれ1960年代は自閉症要因論を巡って非常に議論が錯綜していたのは事実である。そして、過去に〈冷蔵庫マザー〉説を唱えていたカナーは次第に親の会からのバッシングを受けるようになる。

 そして、1968年の論文で、まだ確証はないとしながらも先天障害説の立場を鮮明にし、〈冷蔵庫マザー〉説を強硬に主張するベッテルハイム批判を開始した。さらに翌年には自閉症協会で講演し、自らが最初の論文で先天障害説を唱えていたことを弁明した。

 〈自閉症〉の状態像については完璧に記述したと言われるカナーも、要因論についてはアメリカの児童臨床の流行、社会の動向に振り回されていたのである。そして家族会という新しい運動体の圧力にあがらう力は68年以降のカナーには残されていなかった。

 次回は、1960〜70年代のベッテルハイムとリムランドの論争に焦点を当てながら、家族会が議論に与えた影響を考えていきたい。

(参考文献)
Leo Kanner,1973,Childhood Psychosis:initial Studies And New Insights, ,New Jersey,John Wiley & Sons inc
(=2001,十亀史郎・斉藤 聡明・岩本 憲訳『幼児自閉症の研究』,黎明書房)
Leo Kanner,1935,Child Psychiatry,Illinois,Charles C Thomas




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