グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論

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zoom RSS ちょっとだけ修正【番外編】ロボトミーの思考  −情動を統御するテクノロジーへの道−

<<   作成日時 : 2014/06/01 18:09   >>

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(少し修正を入れてみたじょ) 

 今回の考察では、微細脳機能障害概念誕の考察に先駆け、20世紀中葉に至るまでの脳科学研究の変遷に注目した。わたしが特に重視したのはロボトミー手術の誕生である。

 日本の精神科に通院したことがある患者、あるいは患者に同行したことのある家族や支援者であれば、薬物治療は極めて身近な治療法だろう。もちろん、薬物治療だけが精神科で実施される治療ではないのだが、薬物治療を実施しない精神科はないと言っても過言ではないぐらい、薬物治療は一般的である。


 しかし、薬物療法の先進国とされるアメリカ合衆国でさえ、1950年代中ごろまで、薬物療法は一般的とは言えなかった。もちろん、薬物療法が全く実施されなかった訳ではなかった。現在ならばADHDと診断されるであろう子どもにリタリンが初めて処方されたのは、1920年代のことである(当時は〈性格欠陥児童〉〈行動異常児〉に分類され、先天的に非行リスクが高い患児と見なされた)。しかし、それすらまぐれ当たりで有効だったというレベルの話だった。

 アメリカ合衆国において薬物治療が一般化されたのは、1954年も連邦食品医薬薬局がクロルプロマジンという抗精神薬をアメリカ合衆国で使用することを承認してからのことであった。クロルプロマジンは当時としては画期的な抗精神薬であり、承認発表から1年以内に200万人の患者に処方された。


 では、それ以前に行動や感情を統御しにくい精神疾患を持つとされた精神科の患者たちにはどのような治療が行われていたのだろうか?あるいは、精神科においてどのように取り扱われていたのだろうか?結論を言ってしまえば、多くの患者たちはこれといった現在から見て有効とされる治療を受けることなく、精神病院に入院させられていた。20世紀初期のアメリカ合衆国は〈社会的脅威〉となる患者は施設に収容するのが一般的だったのである。1930年代までにアメリカの合衆国の入院患者数は急増し、過剰収容に陥っていた。精神病院のスタッフにできることと言えば、看護以外では手のつけられなくなった患者に電気ショックを与えたり、インシュリンを投与して情動を鎮めることぐらいであった。

 入院患者たちの情動を統御し、〈社会的脅威〉を減少させた上で、病院から退院させ、在宅生活が送れるようにしなければならない。1930年代の精神医学はそんな課題に直面していた。それは、20世紀中葉に一部の優生学者が、〈精神薄弱者〉に断種手術をした上で、施設から社会に送り出そうとしていたことと似ている。そして、その課題を解決するために、後に精神医学史上最も残虐と評価された外科手術が、20世紀の中葉に隆盛を極めることになる。

(1) ロボトミー手術

 精神医学の世界でも脳に着目した医師たちが医学的に統御しようとしたのは、前頭前野であった。前頭前野は、脳機能のうち意志、学習、言語、類推、計画性、衝動の抑制、社会性を司るとされる。他の動物に比べてもヒトの前頭前野は大きく複雑である。そして、ヒトの情動において、前頭前野が重要な役割を果たしているということは、動物実験などによって、1930年代の段階でもある程度推測されていた。

 そして、1935年第2回国際神経学学会において、チンパンジー実験に基づく当時としては画期的な報告がイェ−ル大学霊長類神経生理学研究所のジョン・フルトン、カーライル・ジェイコブソンらによってなされた。

イェール大学霊長類研究所は優生学者にして、第一次世界大戦中に悪名高い陸軍式知能テストを開発したことで知られるロバート・マーンズ・ヤーキーズによって設立された研究所であった。ヤーキーズはここで人間と動物の知能、学習、知覚の比較研究を行い、比較心理学の基礎を築いたとされる。自閉症研究でよく知られる心の理論研究などもチンパンジーとヒトの比較研究から出発しているので、比較心理学の応用研究と言えるだろう。

 報告の内容を簡単に紹介しておこう。実験台になったのは、ベッキーとルーシーという2匹のチンパンジーであった。実験前、ベッキーは与えれた課題が失敗するといらいらしやすくなり、ルーシーは失敗しても冷静に対処できていた。

 フルトンとジェイコブソンは2匹のチンパンジーから脳の前頭葉を切除した。するとベッキーは課題に失敗してもあまり動じなくなり、逆にルーシーは前頭葉があった時以上にいらいらしやすくなった。実験台となったチンパンジーにとってはかなり残酷な話だが、前頭葉が情動に対して重要な役割を果たしていることを示唆する実証的な研究であった。

 この報告に衝撃を受け、報告者に対して質問をしたポルトガルの神経科医がいた。エガス・モニスである。モニスはフルトンに対して以下のような質問をしたという。

「前頭葉の摘出によって動物の実験神経症を防ぎ、欲求不満的行動をなくせるというのなら、人間の不安を外科的手法で救うことも可能なのではないか。」(ロボトミストより引用)

 もちろん、フルトンやジェイコブソンは自らの知見を人間の治療にそのまま応用しようなどという考えはなかった。ましてや、実験は前頭葉全てを切除するというものであった。当時の脳に関する知識から考えても、そのまま人間の治療に応用するのは危険な話だった。しかし、モニスはこの実験から着想を得て同年に前頭葉への物理的介入を開始した。

 1935年11月リスボンのサンタ・マリア病院でモニスははじめて自らの患者に対して前頭葉白質切裁術(前頭葉白質を脳のその他の部分から切り離す手術)を実施した。彼が行った術式は両側頭部に穴をあけ、ロボトームという長いメスで前頭葉を切るというもので、モニス術式と呼ばれた。いわゆる精神外科手術の始まりである。

 翌1936年モニスの影響を受けて前頭葉白質切裁術を実施したアメリカのウォルター・ジャクソン・フリーマンはこの手術をロボトミー手術と名づけた。ロボ(lobe)とは肺や脳のような臓器を構成する大きな単位である葉のことであり、ロボトミー手術とは葉の一塊を切除する手術のことである。脳以外の臓器を切除する手術で使用されることもあったが、現在ではロボトミー手術というと、前頭葉白質の切裁術のことを言う場合がほとんどである。フリーマンは眼窩の骨の間から切断すべき脳の部分に到達する経眼窩術式という方法を開発し、全米で普及活動を展開した。フリーマンがロボトミー手術を直接実施した回数は3400回、彼の指導によって実施されたロボトミー手術は35000回を超えると言う。

 すでにモニスやフリーマンが手術を実施した1930年代の時点で同業者からは倫理的な批判が多数寄せられていた。しかし、1949年に患者から銃撃され引退していたモニスがノーベル生理学・医学賞を受賞すると空気は一変した。ロボトミー手術はアメリカ合衆国、西ヨーロッパで広く実施されるようになり、手術が実施された患者たちの予後調査も活発に行われた。

 皮肉なことに手術の追試や予後調査が活発に行われたことにより、脳機能に関する研究は飛躍的に進展した。事故による脳損傷とは異なり、ロボトミー手術は脳のどこを切除したのかがはっきり分かっている。さらに手術前の患者の脳の状態が分かっていれば、脳を切除すると患者にどのような変化が現れるのかも明確であった。デビット・ウェクスラー(ウェクスラー式知能検査の開発者)もロボトミー手術を受けた患者の知能検査を熱心に行っていたことが著作から確認できる。

 しかし、手術を実施された患者たちの予後は深刻であった。フリーマンが手術を実施した患者の6%は生還せず、生還した患者にもてんかん発作、人格変化、無気力、抑制の欠如、衝動性などの副作用が頻繁に見られた。成功したと報告された患者も無気力になったため、在宅介護がしやすくなったという次元の話であることが少なくなかった。「交通事故がうまくいったと言っているようなものだ」(フリーマンと家族の会話)というのが、実態に近かっただろう。

 さらに、患者の予後調査により、脳研究が進むにつれ、脳外科の専門家の間からすらモニス、フリーマンが実施した手術が極めて危険であったことが明らかにされてきた。1950年代後半からロボトミー手術は下火になり、精神医学における薬物治療の主流化が進んでいく。そして、1960年代の反精神医学運動において、ロボトミー手術は精神医学最大の蛮行と評価されるに至る。後に『狂気の歴史』を著したフランスの精神科医ミシェル・フーコーが精神医学を捨てるきっかけになったのも、自らの患者に対して実施されたロボトミー手術に衝撃を受けたためと言われる。
 
※ここまでジャック・エル=ハイ『ロボトミスト -3400回ロボトミー手術を行った医師の栄光と失墜』参照。

(2)脳機能局在説

 ロボトミー手術などの精神外科手術が実用されるためには、実際には誤っていても、ある科学的な前提が成立していなければならない。それは、脳(特に大脳皮質)が部分ごとに違う機能を担っており、患部のみに物理的介入をすれば、他の機能にはそれほど悪影響は出ないという前提である。この前提は誤っていたために、ロボトミー手術は失敗に終わったのだが、ここには脳機能局在論という前提が成立していることが分かる。

 脳機能局在論の最初の提唱者は19世紀初期のドイツの内科医で骨相学者のフランツ・ガルであった。ガルは、脳の特定の部位が特定の機能を担い、その機能が発達するとその部位が肥大して頭蓋骨のふくらみとなって現れるとし、頭蓋骨のかたちから、人格、個々の発達、道徳間隔などを決定づけるという方法を考え出した。
何やら脳科学を利用した人相占いのような学問だが、実証性は乏しい。ただし、ガルが脳の容量ではなく、形に関心を抱いたという点は注目してもいいだろう。この点はやはり脳の容量ではなく、質的な違いに注目した生得犯罪者説のロンブローゾと発想が似ている。

 ガルの脳機能局在論は科学的根拠に乏しく、19世紀の段階で疑似科学として否定された。それに対して、フランス人類学協会を設立し、現在で言う生物人類学の基礎を築いたピエール・ポール・ブローカ(1824-1880)は、脳の大きさ、重さ、頭蓋の形など測定できる要素を重視した頭蓋測定学という分野を確立した。ブローカは人種による頭蓋の大きさや形、脳の大きさや形の違いがあり、白人の脳ほど大きく重く、頭蓋は長頭であると信じて疑わなかった。じっさいに頭蓋計測の比較研究をしてみると、これらは全て誤った前提だったのだが、ブローカはこじつけに近い解釈をして自説を維持したため、この点において優生学という観点から非難の対象になることが多い。 科学的にも頭蓋計測学は行き詰り、知能検査の基礎を築いたアルフレッド・ビネーも最初は頭蓋計測学を専門としたが、その限界を悟ったために、心理学的知能検査に傾斜するようになったと言われている。

 一方、ブローカは内科医として、亡くなった失語症患者の脳を解剖し、前頭葉にある舌、唇の動きを司る野を発見したことで知られる(いわゆるブローカ野)。これは脳機能局在論に基づく初めての実証的な研究と言われる。また、脳損傷者の脳を手がかりに脳機能を研究するという手法は20世紀にも受け継がれた。

 そして、20世紀に入ると脳機能局在論は新たな局面を迎えた。第一次世界大戦では銃器の発達もあり、弾丸が脳を貫通し、脳損傷が生じた兵士の治療とリハビリが大きな課題となった。脳損傷を負った兵士の中には、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの特徴を示すようになる者が現れ、脳のどの部位が損傷するとどの機能が不全を起こすのか対応関係が明らかにされていった。脳損傷兵士の研究で重要な役割を果たしたのは、クルト・ゴールドシュタインという人物であった。彼は後に微細脳機能障害、ADHD研究および支援の草分けとなったアルフレッド・シュトラウスの師にあたる。

 さらに、1918年には嗜眠性のエコノモ脳炎がアメリカ合衆国で流行したが、その後遺症で多動症を発生する児童が出現した。これもまた、多動症は何らかの脳機能障害によって引き起こされているのではないかという可能性を示唆するものであった。
 
 こうして一旦は知能検査に主役の座を譲った脳研究は、脳損傷兵士の研究、エコノモ脳炎の研究を通じて復活した。脳機能局在論もまた実証性を備えて復活することになった。

 そして、1930年代になるとロボトミー手術に見られるように、脳機能局在論を前提として、脳の特定の部位に物理的な介入を行うことによって、人間の情動を統御しようとする知の体系が出現した。この企ては失敗に終わり、最終的に情動を統御するためのテクノロジーの主役の座は薬物治療に委ねられた。しかし、薬物治療もまた情動を統御するためのテクノロジーであることを忘れてはならないだろう。薬物治療とロボトミー手術との違いは、薬物治療の方が副作用はあっても不可逆的な介入になりにくいということだけである。

 次回より、アルフレッド・シュトラウスの事績を通じて、微細脳機能障害概念成立への流れを辿っていくことにしよう。




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