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zoom RSS 【微修正】社会は逸脱者を必要とする(23) 診断を巡る狂騒曲 1980年代における診断の再編成

<<   作成日時 : 2014/12/23 16:17   >>

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 個別の事例考察は今回で終了する。次回からは2回かけてこれまでの考察のまとめを行うことになるだろう。今回は1980年代初頭に発生した〈発達障害〉診断の再編成について考察を行っていきたい。

(1)診断を巡る混乱とDSM-3の登場

 1980年以前の精神医学界において診断は極めて錯綜していた。精神科医間の診断の一致率は低く、同じ症状についても「ほぼ偶然の一致率の低さ」(1949、P.アッシュ)と言われるほどだった。1972年にJ・E・クーパーという医師が英米の比較研究を行った際にも、アメリカの精神科医の方がイギリスの精神科医よりも〈統合失調症〉を広く診断していたことが明らかにされた(詳細は大野裕『精神医療・診断の手引き−DSM-Vはなぜ作られ、DSM-5はなぜ批判されたか−』参照)。

 この状況は、現在〈神経的発達障害〉の範疇に含まれている診断の混乱だけを見ても明らかだった。現在では死語になっている〈微細脳機能障害〉は、確認できるだけでも以下のような診断名でカルテに表記されることがあった。

【原因的】
@脳傷害児 A脳損傷児 B器質性脳損傷 C慢性脳症候群 D微細脳損傷 E脳機能障害 
F微細脳機能障害 G神経学的にハンディキャップをもった存在

【現象記述的】
@シュトラウス症候群 A知覚上ハンディキャップを持った存在 B語盲 C先天性失読症 D読字困難
E失読症 F書字困難 G失書症 H運動性失語 I受容性失語 J特異な学習障害 K学習能力障害
L多動症候群 M特異な読みの遅滞

・・・1966年に三者委員会が〈脳機能症候群〉の定義を提案した後も診断の乱立状況は続いた。さらに特殊教育学者サミュエル・アレクサンダー・カークのよって提唱された〈学習障害〉概念との並立も事態をややこしくした。

 〈学習障害〉の基礎的研究は主にアメリカ学習障害児協会と連携した神経心理学者たちによって深化させられ、〈心理神経学的学習障害〉と呼ばれるようになっていた。以前に述べたように、両者はいずれも学習の困難、集中持続・行動制御の困難、言葉の聞き取りと構音の困難、運動面の不器用さ、社会性の困難が見られるとされる子どもを支援の対象にした。〈微細脳機能障害〉は医学用語で注意持続・行動制御の困難を中心として扱い、〈心理神経学的学習障害〉は心理学用語でアカデミック・スキルの困難を中心として扱うという傾向はあったものの、両者の並立は今日から見れば理解しがたいものだろう。

 あえて言えば、〈心理神経学的学習障害〉は家族、学校教員からの支持が高かったため主に学校現場で使用されたが、〈学習障害〉という呼称からは具体的な困難を特定した説明が行いにくいために、医療現場では〈微細脳機能障害〉や近接する現象記述的な診断名も併用されることが多かった。

 〈自閉症〉についても同様のことが言えた。カナー自身は〈自閉症〉と〈統合失調症〉の関係を否定していたが、
〈自閉症〉研究自体が小児期に〈小児分裂病〉研究から出発しているために、20世紀中葉の段階では、〈小児分裂病〉の一形態と捉える児童臨床家も少なからず存在した。また、精神分析から出発した児童臨床家は〈情緒障害児〉説を唱えたため、〈本物の情緒障害児〉を〈自閉症〉と診断していたケースが少なからずあったようである。さらにハンス・アスペルガーは〈自閉的精神病質〉を先天的な〈精神病質〉と捉えていたために、〈小児分裂症〉研究から出発し後天的と解釈されることもあった〈自閉症〉とは似て非なるものと捉えていたのも、アメリカとヨーロッパの間での診断の一致率の低さの証左となるだろう。

 診断の一致率の低さ、同じ診断に対する複数の診断の並立状況は精神医学の科学性に疑問を付すものであった。精神医学の無根拠性については1960年代の反・精神医学運動でも徹底的に問題視されたが、別の角度からアメリカの民間の保険業界からも問題視されるようになった。

 なぜ、保険業界が問題視したのだろうか。近年、不十分ながら公的な医療保険制度の創設(オバマ・ケア)が議論になったとは言え、アメリカは長らく公的な医療保険がなく、現在も医療保険のほとんどは民間の保険会社によって担われている。保険会社は営利事業であるため、医療費の増大を抑えるために医療機関に対して低い予算で短期間で効果の高い治療を求めてくる。長期の入院、高額な薬物治療は医療機関に圧力をかけて阻止することもあるし、治療計画の策定は保険会社によって実施される。さらに医療保険には健康な人しか加入できず、健康状態がよくないとされる人々は保険に加入できないか、かなり条件の悪い緩和型保険に加入することになる。当然のことながら、保険料を払い続けることのできない低所得層も保険に加入できず、医療へのアクセスを制約される。そして、保険業界は診断の混乱が著しい精神医学に対して、根拠のある診断を求めた。保険業界の協力がなければ、患者の医療費の支払いが滞る危険性もあった。保険業界の圧力を受けたアメリカ精神医学会は診断の根拠となるガイドラインの作成に着手した。

 こうして、1980年に出版されたのが、精神障害と診断の統計マニュアル第3版(DSM−V)であった。若干の内容の違いがあるとは言え、DSMの記述法は世界保健機関(WHO)が作成した疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)にも影響を与えている。

 著者は精神医学には門外漢なのであまり詳しい説明はできないが、この診断ガイドラインの特徴をいくつか挙げておこう。1980年以降のDSMは診断の原因については言及されていないが、生物的精神医学の傾向が強く見られるようになった。DSM−V作成に関与していた精神分析者が途中で精神医学学会から撤退をしたためである。ガイドラインにはその〈精神疾患〉〈行動障害〉の特徴が列挙されており、多くの特徴に合致している患者が診断されることになる。最新のDSM-5ではなくなったが、患者の目先の派手な症状、行動に囚われず、状態を多角的に診察できるように、DSM−Vでは多軸評定が採用されることになった。

第1軸 精神障害には起因しないが医学的関与や治療の対象になる状態、付加コード
第2軸 人格障害および特異的発達障害
第3軸 身体疾患および身体状態
第4軸 心理的社会的ストレスの強さ(どの程度の心理社会的ストレスを受けているか)
第5軸 過去1年の適応機能の最高レベル(社会的関係、職業的機能、余暇の過ごし方)

 なお、DSMには採用されなかったが、前回取り上げたイギリスの精神科医マイケル・ラターは1975年にICD-9に基づく多軸分類の試案を発表している。ラター版多軸評定は

第1軸 臨床的医学症候群
第2軸 特異的発達遅滞
第3軸 知的水準
第4軸 身体的病態
第5軸 異常な心理社会的状況

となっている。児童精神科医であるラターの多軸評定は発達、知能など児童期から見られる特徴に強い関心を示す傾向があった。一方、DSMのような現在の適応機能にはあまり関心を払ってないようである。イギリスではアメリカ産のDSMがICDが診断ガイドラインとして利用される傾向にあったこと、ラターがイギリス児童精神医学の大家であったこともあり、イギリスの自閉症の専門家たちはラターの多軸評定を利用した。

 ともあれ、DSM-Vの作成により、アメリカでは現在で言う<神経的発達障害>も診断の再編成を与儀なくされた。DSM-Vにおいて〈神経的発達障害〉は〈通常、幼児期、小児期、あるいは思春期に発症する障害〉に分類され、〈微細脳機能障害〉は

@注意欠陥障害
A特異的発達障害(発達性読み方障害、発達性計算障害、発達性言語障害など。この時点では書き方障害、運 動障害は含まれていない)

に分割された。〈微細脳機能障害〉という診断は次第に使われなくなり、1987年以降は〈神経的発達障害〉の歴史研究以外ではほとんど目にすることはなくなった。医学的診断ではないが、〈心理神経的発達障害〉も再編成を余儀なくされた。実際の〈学習障害児〉支援においては現在で言う〈発達障害児〉全般が対象となっていたが、アカデミックスキルに焦点を当てた定義に変更された。以前に紹介した連邦政府の学習障害に関する連邦合同委員会報告の定義を念のため再掲しておこう。

 学習障害とは、聞き、話し、書き、推理する能力、算数の能力を取得したりするのが著しく困難な、さまざまな問題群の呼び名である。そのような問題は、生まれつきの中枢神経の働きの障害によるものと考えられる。 学習障害は、他のハンディキャップ(たとえば、感覚の障害、精神遅滞、社会性や情緒の障害など)や不適切な環境(文化的な違い、望ましくない教育など)からも生じるが、そのようなハンディキャップや環境から直接生じるものではない。

 DSM−Vで言えば、〈特異的発達障害〉の診断に該当する子どもを対象とする概念になったと考えればよいだろう。

(2)そして、〈自閉症スペクトラム障害〉へ

  アメリカでDSM-Vが発表された翌年の1981年、イギリスの児童精神科医ローナ・ウィング(1928〜2014)が重要な論文を発表した。「アスペルガー症候群:臨床報告」と題された論文は前年に亡くなったハンス・アスペルガーの〈自閉的精神病質〉が、レオ・カナーの〈幼児自閉症〉と連続していることを証明することが目指されていた。なぜ、両者の連続性を証明する必要があったのだろうか。ウィング論文をもう少し詳細に検討しておこう。

 ウィングは論文の中で、2つの対照群の比較を行っている。一方は大人になってから精神疾患に罹患し病院に通院することになった患者たちであった。この患者たちを多軸評定に基づき幼少時の状況を確認してみると、言葉の発達の遅れは最初から見られなかったが、ウィングの言葉で言えば社会性、想像力に著しい〈欠陥〉を抱えていた患者たちであった(ウィングは自閉症の診断で社会性、コミュニケーション、想像力の三つ組を重視する)。

 もう一方は、幼少時に〈幼児自閉症〉と診断され、療育を受けながら成長した〈自閉症者〉たちであった。このグループは言葉の発達に大きな改善が見られ、大人になってから精神科に通院した社会性、想像力に〈欠陥〉を抱える患者たちと近い状態になっていた。

 この比較研究の結果から、ウィングは療育を受け順調に成長した〈自閉症者〉は次第に最初から言葉の遅れがなかったか、軽微な患者たちに近づいていくと結論づけた。そして、両者はハンス・アスペルガーが報告した〈自閉的精神病質〉であることを主張した。〈アスペルガー症候群〉の誕生である。〈アスペルガー症候群〉が〈自閉症〉の連続体と捉えられることにより、〈自閉症〉およびこれに近接する〈障害〉の範囲は大きく拡大した。そして、1990年代には〈自閉症スペクトラム障害〉という幅広い裾野を持つ連続体概念が作り出されることになる。

 では、ウィングはなぜ広い連続体概念を必要としたのだろうか。〈自閉症児〉の親でもあり、イギリス自閉症協会の設立者の1人でもあったウィングは、当然〈自閉症児・者〉の家族との連携を重視していた(もっとも、精神医学の科学性を重視していたマイケル・ラターからその辺を批判されていたようだが)。1970年代のウィングおよび他の家族は2つのディレンマに直面していた。

 1つ目はレオ・カナーの観察に基づく診断基準を厳密に適用すると、イギリス自閉症協会に所属する当事者の中に〈自閉症〉の診断には部分的に該当するが、完全には該当しないケースが発生してしまうことだった。70年代のウィングは著作の中で度々このことを口にしている。イギリスはアメリカに比べれば公的支援が充実しているが、診断基準を完全に満たさなかった当事者は、公的支援を受けることができなかった。

 2つ目は、70年代以降確かにウィングから見れば治療効果が認められるような支援プログラムは生まれつつあったのだが、治療が進めば進むほど、当事者たちからは絵に描いたような〈自閉症〉の特徴が見られなくなった。エミール・クレぺリンに始まる記述精神医学においては、ほとんど未治療の患者の状態に基づき症状が説明されたし、初期カナーの〈自閉症〉に関する記述も同様であった。薬物療法、行動療法など現在でも知られる療法が普及すると、当然患者の状態はよくも悪くも変化する。しかし、ウィングから見て治療が進んだ〈自閉症者〉たちが公的支援なしに生活を営めるレベルまで達するのもまた困難であった。

 ウィングは治療が進んでも、当事者たちが公的支援に残れるような道を模索しはじめた。そのためには、治療方法がない時代にカナーによって作り出された狭い〈自閉症〉概念を拡張する必要があった。しかし、公的支援のために診断カテゴリーを拡張するのであれば、それは診断の濫用になるだろう。そこでウィングが選んだ道は、〈自閉症〉の診断には厳密には該当しない当事者、あるいは治療が進んで該当しなくなった当事者を包括できる連続体概念を創造することであった。そのためには、ウィングの考える連続体の中で最軽微に属する〈アスペルガー症候群〉を〈自閉症スペクトラム障害〉の範疇に含めることは不可欠であった。〈自閉症児・者〉の治療がうまく進めば〈アスペルガー症候群〉のような状態になるというのがウィングの予後予測だったからである。

 ウィングによる〈自閉症スペクトラム障害〉概念は、イギリスの同じグループの臨床家たちからは広く支持された。おそらく彼女/彼らにも自らが支援する当事者たちを公的支援から外してはならないという判断があったためと見られる。一方、アメリカのエリック・ショプラーは〈自閉症スペクトラム障害〉という概念には否定的であり、診断の混乱を避けるために廃棄を主張した。これに対してウィングは混乱の危険性はあっさり認めた上で、以下のように反論した。


@自閉症の診断は言葉が全然なく、人からは孤立的、視線は合わず、多動ですばしこく、身体の常同運動にふけるというのが多くの人の一般的な理解になっている。しかし、この理解には〈自閉症児・者〉の重症度に幅があり基本的欠陥の現れ方にも大きな違いがあると認識が欠けており、誤解を招く。

A特別な経験のない親には〈自閉症〉よりも〈アスペルガー症候群〉と伝えた方が受け入れられやすい。

B〈アスペルガー症候群〉という認識が大人の精神科医にも広まったことで、未診断のまま大人になったケースにも対応がしやすくなった。

 つまり、診断上の議論を棚上げにした上で、一般人や臨床家の〈自閉症スペクトラム障害児・者〉の多様性に対する理解、家族による受容のしやすさなどのメリットがあるため、この概念は支援上有効であるというのがウィングの見解であった。

 誤解がないように加えておくと、ウィングは診断カテゴリーを拡張することにより、自らが儲けようとしていた訳ではない。あるいはアメリカのように保険会社や製薬会社の圧力を受けて、診断カテゴリーを変更しようとした訳でもない。公的医療保険がそれなりに機能しているイギリスで保険会社との妥協はそれほど必要ではないし、ウィング自身は薬物治療をそれほど重視していなかった。ウィングの目的はあくまでイギリス自閉症協会に所属する家族、当事者たちの〈救済〉にあった。

 アメリカでは、1960年代に家族会の意向を受ける形で〈心理神経的学習障害〉のカテゴリーが拡張されていくという事態は起こっていた。しかし〈学習障害〉は神経心理学的概念であったため、医学的診断カテゴリーの拡張ではなかった。〈自閉症スペクトラム障害〉概念は、家族会の意向、あるいは要請に基づく医学的診断カテゴリーの拡張だったという意味では、新しい状況だったと言える。診断カテゴリーもまた家族会の意向が反映される時代が到来したのである。

(次回は「まとめ1 時系列に見る発達障害前史」)

【参考文献】
大野裕『精神医療・診断の手引き−DSM−Vはなぜ作られ、DSM−5はなぜ批判されたか−』
2014年金剛出版
1980,Quick Reference Diagnostic Criteria from DSM-V,Washington,American Psychiatric Association
(=1982,高橋三郎訳『DSM-VI精神障害の分類と診断の手引』医学書院)
Rutter,L.,M.,Shaffer,D.,Sturge,C.,1975,A Guide to a Multi-Axial Classification Scheme For
Psychiatric Disorders in Childhood and Adolescence,London, Institute of Psychiatry Department of Child and Adolescent Psychiatry (=1985,門 真一郎, 梁川 恵訳『多軸分類の手引』,ルーガル社)
上村 菊朗,森永良子著,1985,『小児のMBD -微細脳機能症候群の臨床-』,医歯薬出版株式会社
Frith,Uta,1991,Autism and Asperger Syndrome,Cambridgeshire,Cambridge University Press(=1996,冨田 真紀訳,『自閉症とアスペルガー症候群』,東京書籍)
Wing,Louna,1981,Asperger's Syndrome: a Clinical Account, Psychol Med 11 (1)
Johnson,J.,D.,Myklebust,R.,H.,1960,Learning Disabilities:Educational Principles and Practices,New York,Grune
& Stratton,Inc.(=1975,森永 良子,上村 菊朗訳,『学習能力の障害 -心理神経学的診断と治療教育』)

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