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zoom RSS 【ちょっとだけ修正】社会は逸脱者を必要とする(22) 〈共同治療者〉と〈治療されるべき者〉

<<   作成日時 : 2014/12/07 15:02   >>

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 今回の考察では、1970年代後半の自閉症研究における動向により、臨床家、家族、自閉症児・者の三者関係がどのように変化したのかを扱う。特に注目したのは、エリック・ショプラー(1926-2006)による三者の関係関係の方向転換である。

(1)自閉症研究の重要な転換 ラターとショプラー

 1976年にスイスのセント・ガレンにおいて自閉症に関する重要なシンポジウムが開催された。中心的な役割を果たしたのは、イギリスの児童精神科医マイケル・ラター(1933-)とアメリカの行動療法家エリック・ショプラーであった。イギリスの児童精神科医であり、自閉症児の親でもあったローナ・ウィング(1928-2014)も報告者に名を連ねている。シンポジウムの内容は『自閉症 その概念と治療に関する再検討』に収録されている。

 各報告者による見解の相違はみられるが、おおむね以下のような研究および治療の方向性が打ち出されたと考えてよいだろう。

@〈自閉症研究〉の創始者レオ・カナーは自閉症児・者の極端な孤立、同一性の保持に注目し、言葉の発達は養育による後天的な遅れと見なしていた。しかし、自閉症の一次的障害は言語を含む認知発達の異常であり、極端な孤立と同一性の保持は二次的な障害である。(ラターの説)

A原因については、脳の器質・機能的障害を仮定する。〈自閉症児・者〉の予後調査でてんかん発作が生じた事例が見られること、一卵性双生児の研究において双生児の一方が自閉症である場合、もう一方も自閉症である割合は二卵性双生児の場合よりも有意に高い。(ラターの説)

B治療は教育訓練に重点が置かれる。特に行動療法が有効である。(ショプラー)

C〈自閉症児〉の親は直接その根本原因とは関係がない。むしろ、親を治療訓練に積極的にさせる必要性がある。(ショプラー)

D〈自閉症〉の原因(本人の生物学的基盤および家族の調査など)、治療に関する研究は実証的になされなければならない。

 ショプラーの説の検討に入る前にラターの説である@Aに若干の解説を加えておこう。カナーに代わる1970年代以降の英米圏の児童精神医学の体系者はラターだったと言っても過言ではない。特に児童の診断におけるラターの影響力は絶大であった。厳密な実証主義者として知られ、1970年代前半には母親はく奪理論の要因論が粗雑であることを批判し、その発展的解消を主張した。そしてラターの目から見れば、〈自閉症〉研究の世界に根強く残っていた〈冷蔵庫マザー〉説も、母子関係理論の濫用としか言えない実証性に欠けた説であった。

 そのため、〈自閉症児・者〉の予後調査、双生児研究の成果に基づき、〈自閉症〉を先天的な脳障害であるとした。そして、〈自閉症児〉と〈発達性受容性失語症児〉の比較検討を行い、両者の言語発達の遅れが質的に大きく異なっていることを明らかにし、認知障害説を提唱することになった。カナーも〈自閉症児〉の言葉の発達の遅れには注目したが、〈自閉症児〉の機械的暗記力を目にして、認知は本来平均的だと考えていたのである。

 優生学者も盛んに利用した双生児研究を〈自閉症研究〉に応用したことにより、ラターを遺伝決定論者であると見なした読者もいるかもしれない。確かにラターはその研究キャリアの早い段階から遺伝子に強い関心を抱いていたのは事実である。21世紀に入っても遺伝行動学の最新動向にアンテナを張り、精神医学に遺伝研究の成果を反映させようとしていたのも事実である。

 しかし、2006年の著作『遺伝は行動をいかに語るか』を読む限り、ラターを遺伝決定論者と見なすのも誤っている。ラターはここでも遺伝決定論的な立場の研究を遺伝科学の濫用と批判し、遺伝・環境間交互作用説を唱えているからである。この立場は、子どもの精神疾患に対して「遺伝か、家庭環境か」といった単純な理解を斥ける。様々な子どもの精神障害は遺伝と環境が複雑に絡み合って発症すると考えるのである。

 例えば、里親が里子を虐待しており、子どもが精神疾患に罹患したとしよう。家庭環境の問題ととらえられがちな事例だが、ラターによれば遺伝が子ども自身ではなく環境に影響を与えた結果、里親の虐待が発生したと解釈される場合もあるのだと言う。また、精神疾患のリスクが高い遺伝子の組み合わせを持った子どもが2人いたとしても、両者が必ず同じ精神疾患に罹患するとは限らない。その子どもがどのような環境に曝露されたかによって、結果は異なるのだという。もちろん、このようなラターの立場は科学的に正しいのかどうかは筆者には判断できない。しかし、遺伝的決定論にも環境的決定論にも与さず、両者の濫用を厳しく戒めるというラターの立場は、おおむね理解できたのではないかと思う。

(2)行動療法の急転回

行動療法とはバラス・フレデリック・スキナー(1904-1990)が構想した行動工学に基づいた行動変容を目指す心理療法のことである。現在では動作や運転の技能向上、嗜癖や不適応行動の改善、障害児の療育訓練、身体的・社会的リハビリテーション、e-ラーニングなどに応用されている。

 スキナーの理論をきちんと説明しようとすると、非常に長くなってしまうので、本稿の内容で必要な範囲に絞り、行動療法の概略を説明しておきたい。

 行動療法において重要なキーワードとなるのは、オペラント行動、オペラント条件づけ、強化、弱化である。まず、オペラント行動とはその行動が生じた直後におこる環境の変化(刺激の消失もしくは出現)に応じて、行動が生じる頻度が変化することである。ここでスキナーのいう環境とは行動に対する刺激環境であって、間違っても社会環境ではないことに注意する必要がある。例えば、子どもが周囲の注目を引くためにいたずらをしたところ、周囲の注目が増えた場合、子どものいたずらは増える可能性がある。厳しい罰や叱責も結果的に注目を引くことに成功したことになるため、逆効果である。逆に何度繰り返しても注目されない場合、いたずらは減少する可能性がある。

 つまり、行動頻度は刺激環境によって変化するため、行動を変容させるために刺激環境の統制が重要な鍵となる。具体的には好ましい行動の頻度を増やし、好ましくない行動の頻度を減らすように刺激環境を統制することが有効なのである。刺激環境の統制により、オペラント行動の自発頻度を変化させる学習をオペラント条件づけと言う。

 オペラント条件づけにおいては、好ましい行動の自発頻度を増やす取り組み(強化)と好ましくない行動の自発頻度を減らす取り組み(弱化)が同時に行われる。自発頻度を増やすための刺激は正の強化子と呼ばれ、減らすための刺激は負の強化子と呼ばれる。そして、行動療法においては効果測定を行いながら、どのような強化子が生活体(対象者)に有効なのか検討が重ねられていく。

 スキナーは動物実験を繰り返し、行動工学は人間にも応用が可能であり、学校教育、戦争や環境破壊で愚行に走る人々の行動変容にも利用できると大風呂敷を広げた。もっとも、人間を動物扱いしている、刺激環境を統制するという手法が操作的すぎるという批判が生前からあり、限られた教育訓練環境で利用されることが多かった。一方、20世紀後半に入ると行動療法は〈精神薄弱児〉の教育訓練で有効であると認識されるようになった。

 生物学的決定論は心理学の研究対象にそぐわないとし、極端な環境的決定論を唱えた行動主義に基づく療法が、極端な生物学的決定論者に走ることもあった〈精神薄弱児・者〉支援の世界で広く受け入れられたのは興味深い。しかし、生物学決定論の傾向が強い分野だからこそ、生物学的に介入できる要素は少ないと見なされ、刺激環境の統制による解決が目指されたとも考えられる。そして、1970年代に入るとエリック・ショプラーら自閉症研究者によって、〈自閉症児・者〉にも有効性があると見なされるようになった。


 ショプラーは言うまでもなく、〈自閉症〉の治療プログラムで名高いTEACCHプログラムの創始者である。1972年にノースカロライナ州は家族会の要望に基づき、TEACCH部門を設置したが、その初代の責任者がショプラーであった。〈自閉症児・者〉が見通しを持って行動できることが大切だと考え、見通しを視覚化する構造化という手法を提唱したことでも知られる。


 ショプラーは最初〈冷蔵庫マザー説〉で知られるベッテルハイムのもとで精神分析に基づく治療に従事したが、次第にベッテルハイムの治療は誤っていると感じるようになった。〈自閉症児・者〉に精神分析が有効なのか疑問が生じたし、〈冷蔵庫マザー〉説が家族との治療関係を破壊していることも問題だと考えた。しかし、治療関係の破壊という点でも1960年代の行動療法も同根の問題を抱えていた。、ショプラー自身の説明によれば、行動療法もまた〈自閉症児・者〉の親たちを病理的な親と見なし、治療の対象としていた。当然、病理的と見なされた親たちと行動療法家の間にも良好な関係は築かれにくかった。それどころか、行動療法が家族会によって〈共通の敵〉に祭り上げられる可能性も十二分にあったのである。

 さらに行動療法自体が抱える致命的な弱点もあった。行動療法には統制された刺激環境が不可欠であり、環境が維持されなければ治療効果は消滅してしまう。実験室、病院、カウンセリングルームでは行動が改善したように見えた〈自閉症児・者〉たちも自宅に戻ると、元に戻ってしまうということが頻繁に起こった。治療効果を維持するためには、家庭でも統制された刺激環境を形成することが不可欠であった。さらに言えば、〈自閉症児・者〉が学ぶ学校、生活する地域でも統制された刺激環境が形成される必要があった。つまり、街全体に統制された刺激環境を作り出す必要が生じたのだ。

 TEACCH部門の責任者に就任したショプラーは上記のような事情により、家族との共同を重視した。ショプラーの構想を実現するためには家族会の協力は不可欠だった。家族たちに行動療法を学んでもらい、自宅でも実践してもらう必要があった。そして、〈自閉症児・者〉が通う学校の教員たち、利用する公共施設の職員たちにも施設内で統制された環境を作ってもらう必要があった。

 そのため、ショプラーはまず〈自閉症児・者〉の家族たちの名誉回復を行った。家族たちは〈自閉症〉のある子どもを持つこと、周囲の偏見によってストレスを抱え精神疾患を抱えることはあっても、もとは普通の親であることを強調し、スケープゴートにすることの愚を説いた。その上で家族は〈自閉症児・者〉を治療する上で不可欠な〈協同治療者〉であると位置づけたのである。

 具体的な取り組みとして、専門家は親たちと契約し、〈自閉症児・者〉に特化した行動療法の指導を行うとともに、親たちからも積極的に〈自閉症〉のことを学ぶ。さらに専門家は〈自閉症児〉の通う学校と契約し、支援の方法を伝えていく。さらに専門家と親がロビー活動を行うことによって、公共施設での物理的構造化を推進していくことになる。詳細は『自閉症児と家族』(1982)に詳しいので割愛するが、TEACCH部門が家族と連携しながら積極的に支援のための運動を展開していたことは伝わってくる。〈冷蔵庫マザー〉説によって家族の間に広がった臨床家への不信はひとまずショプラーによって収束させられたと考えてよいだろう。

 もちろん、ショプラーの支援手法が他の専門家から全面的に支持された訳ではない。〈自閉症〉以外の〈発達障害〉支援では他の療法が利用されることもあったし、〈自閉症〉支援の分野でも構造化などの手法に対して批判がなされることは少なからずあった。しかし、実証に基づく研究、効果測定に基づく治療、家族会との対等な協働、異なる専門職間の協働、ペアレント・トレーニングによる家族への支援技法の伝達、専門家と家族による行政機関への働きかけといった現在の〈発達障害〉支援と家族会活動の原型はショプラーによってほぼ完成させられたと言っていいだろう。

(3)共同治療される相手としての〈自閉症児・者〉

 専門家と家族を〈共同治療者〉とするショプラーの転回により、〈自閉症児・者〉の親たちは〈治療すべき病的な親〉から〈治療の重要な担い手〉に引き上げられた。家族会の運動史としてみれば、それは大団円である。しかし、当事者の運動史という視点から問題を検討すると全く異なる問題が浮かび上がってくる。

 〈冷蔵庫マザー〉説が流行していた時代、〈自閉症児・者〉は不適切な教育をする親たちの〈犠牲者〉であった。しかし、ショプラーによって親たちが〈共同治療者〉に引き上げられると、〈自閉症児・者〉は親と専門家によって一方的に〈共同治療されるべき相手〉と見なされるようになった。見方によっては親の地位の引き上げと引き換えに〈自閉症児・者〉の地位は相対的に引き下げられたとも言える。

 1960〜1970年代の親の会でも、親たちが「わたしたちは〈自閉症児・者〉が生まれたことによって家庭をめちゃくちゃにされた犠牲者」だという主張は広く見られた。スケープゴートはいなくなったのではなく、親から〈自閉症児・者〉に変更されたと見ることもできる。

 もし、新しい三者関係の中で、〈自閉症児・者〉の利害が〈共同治療者〉である専門家、親の利害と一致しなかった場合、どのような対応がなされるのかということは考えてみる必要があるのである。

 考えるための事例として、1982年にノースカロライナ大学生命科学センターの研究者ジョアンナ・S・ダルドーフが挙げた事例を検討してみよう。言うまでもなくジョアンナはTEACCH部門への協力者であり、事例はショプラー編著『青年期の自閉症 @個人生活の確立』で紹介されている。

 ジョアンナによれば、〈自閉症児・者〉の家族から〈自閉症〉青年から自閉症の子どもが生まれる危険性について相談を受けることがあると言う。その際、ジョアンナは生まれてくる子どもの権利、〈自閉症〉の青年の親の権利、〈自閉症〉の青年の権利のすべてを考慮した上で判断が必要とする。そして、遺伝相談を行った上で、その青年が神経外胚葉性の病気であれば、同じ障害を持つ子どもが生まれる危険性は高まることを説明し、出産を断念させる必要性を強調する。ジョアンナ自身が出産断念を支持する理由として自閉症青年がたいていの場合、子どもを育てる能力はないからと述べているが、遺伝相談を実施することから、遺伝リスクを問題にしていることは明らかだろう。

 そして、現在はあまり実施されなくなっていると断りながら、卵管結紮手術、精管切断術(つまり断種手術)を実施することも場合によっては必要だと述べている。

 〈自閉症児・者〉の生物的基盤の差異を強調する家族会では、〈自閉症〉の遺伝という不安は1980年代になっても根強く残っていた。そして、ノースカロライナ大学でも、家族からの要望、あるいは同意に応じて断種手術を実施する準備はできていたことになる。もし、〈共同治療者〉が結託して〈自閉症児・者〉の利益に反する方針を決定した場合、〈自閉症児・者〉の利益は誰によって守られるのだろうか。これは今なお未解決のまま残された問題である。

 個別の事例考察は次回で終了する。

(次回は『診断を巡る協奏曲 1980年代における〈発達障害〉診断の再編成について』) 

【参考文献】
Rutter,MIchael&Shopler,Eric,1978,AUTISM:A Reappraisal of Concepts and Treatment,New York,Plenum Press(=1982,円井 文男監訳,『自閉症 その概念と治療に関する再検討』,黎明書房)
Schopler,Eric&Mesibov,B.,Gary,1984,The Effects of Autism on The Family,New York,Plenum Press(=1987,田川元監訳,『自閉症児と家族』,黎明書房)
Schpler,Eric&Mesibov,B.Gary,1983,Autism in Adolescents and Adults,New York,Plenum Press(=1987,中根 晃・太田 昌孝訳,『青年期の自閉症 @個人生活の確立』,岩崎学術出版社)
Rutter,MIcheal,2006,Genes and Behavior:Nature-Nurture Interplay Expained,Oxford,Bkackwell Publishing Ltd(=2009,安藤 寿康訳『遺伝子は行動をいかに語るか』,培風館)
Skinner,F,Burhus,1953,Science and Human Behavior,London,Macmillan Company(=2003,河合 伊六監訳,『科学と人間行動』,二瓶社)

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