グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論

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zoom RSS 社会は逸脱者を必要とする(19) 〈微細脳機能障害〉、〈学習障害〉、そして親の会 

<<   作成日時 : 2014/10/14 19:18   >>

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 前回は〈脳障害〉概念産みの親アルフレッド・A・シュトラウスの事績を確認した。今回はシュトラウスの広告塔として、〈脳障害〉及びシュトラウス教育法の普及に尽力した広告塔リチャード・S・レーヴィスの観点から考察をしていこう。科学ジャーナリストであり、〈脳障害児〉の親であったレーヴィスは、同時代の親の会の動向に極めて敏感であった。そのおかげで彼の著作は、シュトラウス没後の〈脳障害児〉と〈学習障害児〉支援の動向、そして親の会の動向を敏感に捉えてくれていた。レーヴィスの目を通じて、〈障害児〉親の会の役割、専門家と親の会の関係の変化を見ていくことが、今回の考察の目的である。

(1)親の会の誕生

 本題に入る前にその前史として、1950年代における〈精神薄弱児〉親の会の誕生と動向から概観していこう。1938年のノーベル文学賞受賞者であった女性作家パール・S・バックは、1950年に『決して大人にならない子ども』
(邦訳は『母よ 嘆くなかれ』)という告白手記を出版した。

 告白手記とは〈障害児〉を持った親が、自らの子どもが〈障害〉を抱えていることを告白し、親による受容と社会的な支援の必要性を訴える手記のことである。今では障害者支援の世界でよく見かける手記になってしまったが、当時はまだ珍しく、ノーベル文学賞受賞者による告白手記は大きな反響を巻き起こした。パールの告白手記はすぐに日本語に翻訳され、初期の〈精神薄弱児〉親の会の関係者たちにも大きな影響を与えた。

 手記によれば彼女は、中国で布教活動をしていた宣教師の家に生まれ、戦乱により1934年以降はアメリカ合衆国に移住している。代表作である『大地』(三部作、1931年刊)が出版される前の1929年、彼女は合衆国のバインランド訓練学校を訪問し、娘のキャロルを入所させた。キャロルはパールの言葉を借りれば〈決して育たない子ども〉であった。

 バインランド訓練学校はアメリカ優生学運動の理論的支柱であり、知能検査の開発者であるヘンリー・H・ゴダードが研究の拠点とした訓練学校だった。当時の校長エドワード・ジョンストンもまた優生学運動史では名の知れた人物である。パールがいくつかある施設のうちバインランド訓練学校を選んだのは、当時のジョンストン校長の子どもに対する情熱に惚れ込んだからだった。意外に思われた読者もいるかもしれないが、ゴダードもジョンストンも極めて教育熱心な優生学者であり、私立バインランド訓練学校は心理研究所を併設した当時としては最先端の〈精神薄弱児・者〉支援を実践していた訓練学校であった。

 また、手記を読む限り、パール自身も優生学運動の支持者であった節がある。手記の中で自らの家系が優秀であったことを繰り返し強調しているし、娘のような不幸な子どもは決して生まれてはならず、予防を行うべきであることを主張している。

 20世紀の前半、〈精神薄弱児・者〉を対象にした施設に入所したのは、社会的に不遇な家庭の出身者であった。第一次優生学運動では、移民や貧困層に遺伝的に欠陥のある家系が多いとされていたためである。知能検査では軽度とされるが、前科のある入所者も多数存在した。中流家庭以上の親にとって、施設入所は極めて不名誉なこととされた。

 パールは娘の入所が苦渋の決断だったことを語りながら、〈精神薄弱児〉の親たちに対しては子どもを施設に入所させることの受容を、社会に対しては入所施設の増設や質の向上を訴えた。

 全米精神衛生財団の理事会メンバーに選ばれていたパールの告白手記は〈精神薄弱児〉の親たちに大きな影響を与えた。その後も親による告白手記は相次いで出版された。施設入所に対する親たちの判断は多様だったが、家族福祉への依存の強いアメリカ合衆国にあっては、入所施設の増設は不可欠との意見は強くなった。

 1950年代には全米各地に〈精神薄弱児〉親の会が誕生した。会の主な担い手は中流家庭以上の親たちであった。親の会の熱心なロビー活動によって、1950年から1970年まで〈精神薄弱児・者〉を対象とした入所施設は4倍に急増した。劣悪とされた施設の改築も盛んに行われた20世紀の中葉以降、行政機関の多くは、経済的なコストのかかる施設福祉には熱心ではなかったのだが、圧力団体としての親の会の力は侮れなかった。同時期の北欧では、ノーマライゼーション運動の影響で施設福祉から地域福祉への移行が進んでいたのとは対称的であった。

 一方、合衆国の施設福祉関係者にとって、施設増設と改善を求める〈精神薄弱児〉親の会の運動は追い風であった。1948年頃から施設の劣悪な環境を告発する本が多数出回り、施設福祉は存続の危機に立たされていた。しかし、親の会の活動により、施設福祉の関係者は入所施設には親たちのニーズがあることを堂々主張できるようになったのである。

 施設福祉関係者と親の会の間に奇妙な共闘関係ができあがった。施設福祉関係者は自らの営みを正当化し、維持するために親の会の支持、協力が不可欠となった。1950年代以降、いかなる支援の専門家、支援機関も親の会、あるいは家族会の支持なしに支援を進めることができなかったのである。見方によっては、本人や家族の意向が無視されていた時代よりもましになったとも言える。しかし、当事者と家族の利害、意見が鋭く衝突する場面では、当事者はさらに窮地に立たされるようになったとも言えないことはない。そして、親たちの中にはパールのような優生学運動の支持者も少なからず、存在したのである。

(2)〈脳障害児〉概念の変遷と〈学習障害〉概念の誕生

 ここから先はレーヴィスの『脳障害児は育つ』に記された後日談に沿って、2つの概念の変遷を辿っていこう。

 シュトラウスの死後も、彼の研究と取り組みは専門家筋でも高く評価されていたが、〈脳障害〉概念はおおむね3種類の批判がなされていた。

 1つ目の批判は〈脳障害〉〈脳損傷〉という表記を使いながら、一部の例外を除いて〈脳障害児〉からは明確な脳損傷の証拠が出てこなかったことである。シュトラウスも後に〈学習障害概念〉を提唱する神経心理学者たちも心理学検査を用いて証拠を提示しようとしていたが、それは逆に言えば、医学的な根拠を示せなくなったことの証左でもあった。

 2つ目の批判は〈脳障害〉〈脳損傷〉という言葉が保護者にとって受容されにくいという点だった。現在の〈発達障害〉以上に〈脳障害〉〈脳損傷〉という言葉は保護者の受容へのハードルは高かった。じっさい、〈脳障害児〉親の会及びそれに類する親の会の設立は進んでいたのだが、やや広がりに欠いているきらいがあった。この傾向は1958年に〈脳障害〉あるいは〈脳損傷〉を〈微細脳損傷〉という名称に変更しようという提案があってからも続いた。

 そして、3つ目の批判は〈学習障害〉概念産みの親であるサミュエル・アレクサンダー・カークによる批判で、「〈脳障害〉という言葉は指導や訓練の手がかりを何も与えてくれない」ということであった。脳障害という言葉だけでは、例えばその子どもが活発なのか不活発なのか、多動すぎるのか動きがないのかといったことさえ分からないというのがカークの批判の核心であった。

 1963年の1月にイリノイ大学で開かれた〈微細脳機能障害児〉についての研究会で、カークは〈学習障害〉というという用語を使用した。言語発達の遅れ、言葉や読みの障害、社会的やりとりに必要なコミュニケーションに困難のある一群の子どもを表すための言葉であった。シュトラウスの〈脳障害〉概念が〈行動の異常〉を中心に捉える概念だったのに対して、〈学習障害〉概念は、読み書き、言葉、コミュニケーションを中心に捉える概念だったと言えるだろう。しかし、〈脳障害児〉〈学習障害児〉とも実際に支援の対象になった子どもたちは、読み書き、言葉、行動、運動のうち複数の困難を抱えている場合が多いため、両者とも概念が拡大していった。

 そして、1960年代中葉には、ほぼ重なる領域を扱いながら医学的な概念である〈微細脳機能障害〉と神経心理学的な概念である〈学習障害〉が並立する自体が起こった。

(3)〈微細脳機能障害〉と〈学習障害〉

 では、〈微細脳機能障害〉と〈学習障害〉の定義を比較検討しておこう。

1962年にオックスフォード国際小児神経研究グループは、〈微細脳機能障害〉という用語を採用することを提案した。1966年三者委員会の結論では、MBDは以下のように定義されている。

 微細脳機能損傷群との名称に含まれる診断的・臨床記述的な範疇は、ほぼ平均あるいはそれ以上の知的水準にありながら、中枢神経機能の軽微な偏奇と関連し、軽度から重度にわたる学習および(あるいは)特定の行動障害を有する子どもたちである。これらの障害は、認知、概念形成、言語、記憶、注意力・行動の統制、運動機能にみられる特徴的な欠陥としてさまざまな組み合わせでみられる。
 また、これらの偏奇は、遺伝的変異、生化学的不規則性、周生期脳障害、中枢神経系の発達、成熟に密接な関係をもつ疾患、外傷への生後数年間における罹患、あるいは不明の疾患に由来する可能性をもつ。
 この定義はm同時に小児期初期での重い愛情喪失、精神的外傷が、その後、永続する中枢神経系偏奇をもとらす可能性をも認めている。
 また、学齢期には、さまざまな特殊学習能力障害が、本症候群の名称にふさわしい状態の中でもっともきわだった現れである。


 中核となっているのは、あくまで現在で言う〈注意欠陥・多動性障害〉なのだが、ICDー10で言う〈会話及び言語の特異的発達障害〉、〈学力の特異的発達障害〉、〈運動機能の特異的発達障害〉などの特徴も含まれている。
〈学習障害〉もそうなのだが、1980年ごろまでは、最初の〈障害〉概念が拡大したり、同じ症状を扱った診断が複数乱立するということが頻繁に起こっていたのである。敢えて言えば、行動、学力、言葉、運動のうち複数に困難があるように見える子どもが多かったのは事実だったのだろう。

 これらの症状が中枢神経系の偏奇によって生じるとされている点は現在の〈学習障害〉〈発達障害〉の定義にも踏襲されている。ただし、中枢神経系の偏奇が発生する原因についてはかなりぼかした説明になっており、先天的とは断言していない。

 一方、〈学習障害〉も概念を拡大していくうちに、〈会話及び言語の発達障害〉、〈学力の特異的発達障害〉、〈運動の特異的発達障害〉〈注意欠陥・多動性障害〉、さらには〈広汎性発達障害〉などの医学的診断にまたがるような巨大な概念に変化していった。しかし、無制限な拡大を危惧した連邦政府の学習障害に関する連邦合同委員会報告は、1981年に以下のような定義を発表した。

 学習障害とは、聞き、話し、書き、推理する能力、算数の能力を取得したりするのが著しく困難な、さまざまな問題群の呼び名である。そのような問題は、生まれつきの中枢神経の働きの障害によるものと考えられる。 学習障害は、他のハンディキャップ(たとえば、感覚の障害、精神遅滞、社会性や情緒の障害など)や不適切な環境(文化的な違い、望ましくない教育など)からも生じるが、そのようなハンディキャップや環境から直接生じるものではない。

 アカデミックスキルの困難に絞り込んだ定義になったのが、特徴的である。原因は〈微細脳機能障害〉と同様、中枢神経の働きの障害とされた。

 こうして比較してみると、〈微細脳機能障害〉と〈学習障害〉の定義は優劣をつけがたい。悪く言えば、どちらもどちらである。なぜ前者が死語になり、後者は現在に至るまで存続しているのだろうか。

 筆者は、社会運動化に成功したかどうかが明暗を分けたのではないかと考える。最後に〈学習障害児〉協会の運動に注目しながら考察を進めていこう。

(4)〈学習障害児〉協会
 
 〈学習障害〉概念を提唱した1963年の4月、カークは同年の4月にシカゴで開かれた知覚障害児基金の後援による親と教師の会で上記のような提言を行った。

 この提言の影響は甚大で、〈学習障害児協会〉という新しい全国組織に発展した。学習障害児協会はアメリカ合衆国の各州で〈学習障害児〉に対して適切な教育が行われるようロビー活動を展開した。さらに〈学習障害児〉の中に多動などの困難を抱えているとされる子どもが多かったことから、学習障害児協会は製薬会社と連携して多動、集中困難、衝動性を抱えるとされる子どもへのリタリン投与を積極的に主張した。

 一方、運動の拡大とともに、〈学習障害児〉教育はあらゆる種類の〈学習不振児〉(例えば、移民出身者、劣悪な環境で育った子ども、)を受け入れることになった。カークはこれに歯止めをかけようとしたが、もはやカークの力ではどうにもならないほど、親たちの運動は強力になっていた。

 見方を変えれば、社会運動化することができたからこそ、〈学習障害〉概念は急速に広まり、学習障害児協会は強力な圧力団体として教育政策に影響力を行使できるようになったとも言える。〈脳障害〉概念は親たちの受容へのハードルが高かったため、親の会が強力な圧力団体に育たなかったことが社会的広がりに欠ける一因となった。1981年のDSMーVへの改訂後、MBDはADHDと改称されることになった。

 ある支援のための〈障害〉概念が生き残るのは、より科学的に正しいからではない。〈ピアサポート〉〈広告塔〉〈圧力団体〉という役割を引き受けてくれる親の会の組織化、社会運動化に成功した〈障害〉概念が生き残るのである。次回以降扱う〈自閉症〉概念においても、このことは顕著である。

【参考文献】
上村菊焉E森永良子『小児のMBD −微細脳機能症候群の臨床−』1980年医歯薬出版株式会社
リチャード・S・レーヴィス『脳障害児は育つ シュトラウス教育法の輝かしい成果』邦訳は1986年福村出版
パール・バック『母よ 嘆くなかれ』 邦訳は1950年法政大学出版局
J・W・トレントJr.『「精神薄弱」の誕生と変貌』(下) 邦訳は1997年学苑社




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